人の名は忘れたけれど、遠野の町の豪家にて、主人大煩して命の境に臨みし頃、ある日ふと菩提寺に訪ひ来れり。和尚鄭重にあしらひ茶などすゝめたり。世間話をしてやがて帰らんとする様子に少々不審あれば、跡より小僧を見せに遺りしに、門を出でゝ家の方へ向ひ、町の角を廻りて見えずなれり。其道にてこの人に逢ひたる人まだ外にもあり。誰にもよく挨拶して常の体なりしが、此晩に死去して勿論其時は外出などすべき様態にてはあらざりし也。後に寺にては茶は飲みたりや否やと茶碗を置きし処を改めしに、畳の敷合せへ皆こぼしてありたり。
「遠野物語87」

この幽霊譚も、遠野流に云えばオマク譚となるのだろう。
「注釈遠野物語」の解説によれば、明治時代末で小僧がいた寺は大茲寺と善明寺だが、文章の描写から善明寺であるとしている。善明寺は浄土宗で、今まで死人とは穢の元と思われていたが平安末期に死人に手を合わせて供養したのが浄土宗の坊さんで、それから葬式の形式が始まったと云う。
人を祀るのが寺院で、何を祀っているかわからないのが神社と云われる。そういう意味で、死霊であろうが
”人”が集まるのが寺院なのだろう。それ故、自分が死後お世話になるだろう寺院に霊体となって挨拶にきたとしてもおかしくはない。とにかく「遠野物語」「遠野物語拾遺」も含め、この様なオマク譚は多い。
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