山の神の乗り移りたりとて占を為す人は所々に在り。附馬牛村にも在り。本業は木挽なり。柏崎の孫太郎もこれなり。以前は発狂して喪心したりしに、ある日山に入りて山の神より其術を得たりし後は、不思議に人の心中を読むこと驚くばかりなり。その占ひの法は世間の者とは全く異なり。何の書物も見ず、頼みに来たる人と世間話を為し、その中にふと立ちて常居の中をあちこちとあるき出すと思ふ程に、其人の顔は少しも見ずして心に浮かびたることを云ふなり。当たらずと云ふこと無し。例へばお前のウチの板敷を取り離し、土を掘りて見よ。古き鏡又は刀の折れあるべし。それを取り出さねば近き中に死人ありとか家が焼くるとか言ふなり。帰りて掘りて見るに必ずあり。かゝる例は指を屈するに勝へず。
「遠野物語108」遠野は盆地であり、山に囲まれている。その為だろうか、山の神への信仰は盛んであるのは、石碑の多さからみても明らかである。例えば、早池峯の女神から力を授かった話、六角牛の女神から力を授かった話など、山の女神の霊力に関わる話がある。そして、その遠野盆地に住む人々の住まいも、山に発生する樹木によって作られている。つまり家そのものが山の神の恩恵によってなされているのだ。
ところで、人の心を読むとして有名な「覚(サトリ)」という妖怪がいる。
鳥山石燕「百鬼夜行」でのサトリの説明に、こう記されている。
「飛騨美濃の深山に玃あり。山人呼で覚と名づく。色黒く毛長くして、よく人の言をなし、よく人の意を察す。あへて人の害をなさず。人これを殺さんとすれば、先その意をさとりてにげ去と云。」説明文に「玃」とあるが、「玃」は「大猿」を意味するという。五来重「鬼むかし」では、妖怪サトリを
「さとりわらわ」とも言い述べ
「人の考える事をよく読む童、即ち、山神の化身である童子が元の姿であろう。」と説明している。サトリが大猿であるという事だが、山に生息し、齢を重ねた猿を遠野では猿の経立がいる。猿の経立は人間の女性を好んで攫うという事から、人間に近い存在であろう。つまり年老いた猿が、人間に変化しつつある状態が猿の経立であるが、同じ大猿でもサトリは、それとは違う。そして五来重は山神の化身の童子と説明しているが、これと似た様なものなのか、妖怪山童というものが存在する。
この山童をウィキペディアで調べると、下記のように記されていた。
「河童が山に移り住んで姿を変えたものが山童だといわれており、特に秋の彼岸に河童が山に入って山童となり、春の彼岸には川に戻って河童になるとする伝承が多い。宮崎県の西米良地方では、セコが夕方に山に入り、朝になると川に戻るという。熊本県南部ではガラッパが彼岸に山に入って山童になり、春の彼岸に川に戻ってガラッパになるという。このような河童と山童の去来を、田の神と山の神の季節ごとの去来、さらには夏季と冬季に二分される日本の季節に対応しているとする見方もある。」山の神は、春に山から下りて来て田の神となり、秋に山へ帰り山の神になるに対応する山童は、確かに山の神の化身であるのかもしれない。ただ言えるのは、サトリも山童も山に生息しているという事。そして「遠野物語108」に登場する木挽である柏崎の孫太郎も、普段の生活は山に多くの時間を置いているという事である。それはつまり、人間でありながら山の神の影響を受ける存在としての説明に成り得るだろう。
以前、
栗本慎一郎「パンツをはいたサル」という本があったが、人間の猿との境界線は、わずかである。
映画「猿の惑星」の様に支配が逆転される可能性を、同じ2本足で行動する猿に、その意識が向けられる場合が多々ある。
日本人に遺伝子が最も近いと云われる民族にチベット人がいる。有名な羌族に代表されるチベット人の祖先は、猿と石との婚姻から猿であり人間であるという。彼らは石から生まれたと信じ、大きな割れ目のある石を女性のシンボルと信じ、その傍らに男性のシンボルとして棒状の石を祀る。これはまるで、遠野に広がる陽石と陰石の文化、つまりコンセイサマ信仰に近い。
柳田國男の言葉を借りれば
「妖怪は神が零落した姿である。」のならば、その
神とは
「申を示す」漢字から感じれるように、どこかで神を猿として認識していた人間の意識が、その根底にあるのではなかろうか
遠野の猿ヶ石川の語源も猿石から発生し、その川は山から発生するのを考えてみても、山の神の使いが、神であり零落した妖怪となって人間との交流を果たしている猿であるのは、なかなか興味深い事である。当然の事ながら、猿と人間の境目がわずかであれば、山の神の霊力は人間にも及び、柏崎の孫太郎に与えた様な力を山の神は授ける可能性は高いであろう。つまり「遠野物語108」に登場する柏崎の孫太郎は、人間版覚(サトリ)であったのだろうと思ってしまうのだ。