元八幡宮が宮代に鎮座していた頃、八幡様の御縁日には、松崎中の猫が集まって夜籠りして、一晩中喧しく賑ったという。ただし、この時には何故か西教寺の猫が参加しなければ、どうしても、ものにならなかったという。
「上閉伊今昔物語」
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しかし、唐突に変な伝説を見つけてしまった。ところで
「遠野古事記」によれば
「八幡宮は阿曽沼氏が宮代に勧請し、毎年八月十五日祭礼を行ってきたが、阿曽沼氏没落後は祭礼も絶えたと云われる。」
西教寺は松崎町駒木にあり、浄土真宗大谷派で寺伝による開山は室町後期の天文二年(1533年)という事らしい。ただ昔は天台宗であったとされているが、明らかでは無いようだ。
ただ、何故に八幡宮と西教寺が関わって来るのか理解し辛い。

しかし、猫を調べてみると、浄土真宗には無いのだが、天台宗に気になる話があった。
鳥山石燕「画図百鬼夜行」の
「鉄鼠(てっそ)」の解説に、こう記されていた。
「頼豪は三井寺の僧。白河院の為に皇子誕生を祈り効験があった。ところが院は延暦寺を恐れて、約束した戒壇建立の勅許を下さなかったので、頼豪は怒り、皇子を道連れに魔道に行くと呪って、干死をした。霊魂は鉄鼠となって比叡山の経蔵に入り経典を喰い破ったので、麓に鼠の秀倉を建てて祀ったという。」
三井寺には頼豪の霊を祀る為の「鼠の宮」と呼ばれる祠があり、一方比叡山には、頼豪の変化した鼠に対抗する為、高僧が大猫を呼び出したとされ、その猫を祀った「猫の宮」という祠があるという。鼠の宮は比叡山を向き、猫の宮は三井寺の方をそれぞれ向いて建っているのだと。
鼠で思い出すのは、遠野のわらべ唄だ。源頼朝を鼠とし鎌倉幕府を揶揄った唄がある。データが見つからないので、そのわらべ歌の掲載は後にしようと思う。
そして源頼朝といえば、鎌倉幕府が厚く信仰した八幡となる。天台宗は、鼠を嫌った。そして遠野の民は、奥州藤原氏を滅ぼし、源義経を殺した鎌倉幕府を、源頼朝を嫌った。猫の集会というものは現代でも普通に行われるものである。それが、八幡宮の祭日に合わせて猫が集まり、喧しく賑う理由。そして西教寺が実は天台宗であったならば、鉄鼠を嫌い「猫の宮」を建てた比叡山の意図。これらが結びつけば、やはりこの伝説も遠野の民が源頼朝である鼠を嫌い、それを天台宗の寺の猫を参加させる事による、鼠退治を意味したものではなかろうか。
「何故か西教寺の猫が参加しなければ、どうしても、ものにならなかったという。」この言葉の「ものにならない。」とは猫であるから「鼠退治を上手くできなかった。」という意味と考えるべきだろう。つまりこれは、蝦夷国の民衆の鬱積した鎌倉幕府を倒したい意識を含んだ伝説であろうとも思えるのだ…。
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