吉備国に、温羅(ウラ)という鬼がいたが、吉備津彦に対峙された。しかし温羅の首を釜の底へ骨を埋めるも、地中より温羅の唸り声は響き、吉備津彦は困り果てた。ある日、吉備津彦夢の中に温羅が現れ
「自らの妻のがいた阿曽の娘を巫女として釜を用いる神事を行うならば静まり、自ら吉凶を告げよう。」と告げた。この事を人々に伝え、神事を執り行ったところ唸り声は鎮まり、吉凶を占う存在となったという。
上田秋成「雨月物語」でも有名な
「吉備津の釜」の起源が、この温羅という鬼から来ている。「吉備津の釜」は、女の果てしない怨みが男を髪の毛だけ残して殺してしまうのだが、その前に男と女は夫婦であった。しかしその夫婦にさせようと鳴釜神事を行ったが、凶兆であったが無視しての婚姻であった為の怨念劇となった。そもそも「占い」の「うら」とは「心」を意味し、占いそのものは「心合い」からきている。そういう意味では「吉備津の釜」に登場する磯良と庄太夫の心は、初めから合っていなかったのだろう。
「怨み」もまた、人の心を意味する。怨みは「心見(ウラミ)」であり、人の心や態度が期待に相反する場合の態度を意味している。人に期待して、その都度に相反する態度を取られ、怨みが募ったのは「吉備津の釜」の磯良であった。まさに「吉備津の釜」の物語は、占いによって人の心を見て裏切られ、直接人の心を見て裏切られ、二重の「怨み(人見)」の失敗によるものだった。
「うら」が「心」を意味するのなら、当然の事ながら「羨む」もまた人の心を意味している。「羨む(うらやむ)」の「うら」は「心」だが、「やむ」はそのまま「病む」であり、「羨む」とは「心が病む」の意となる。
韓国の女大統領が
「日本を千年怨む」と大統領就任時に宣言したが、それはそのまま韓国の心が千年も病み続けるという宣言である。実際に、4人に1人は精神疾患を持つと発表された韓国は、このまま未来永劫、心病む民族を宣言した事になる。
冒頭に紹介した温羅という鬼も、実は新羅という朝鮮半島から来た皇子であるという事だが、殺されても尚、怨みの心が消えず未だに鳴釜神事に形を変えて伝えられているのは、病んだ心が治っていないという事だろう。つまり千年以上も経過しても温羅の怨みが消えないのであるなら、韓国の女大統領の千年怨む宣言とは、温羅から継続する治る事の無い心の病を持つ民族の代弁でもある。つまり鬼である温羅(うら)という名は、そのまま心を意味して付けられた名であろうから、温羅という鬼の伝説は、病んだ心は21世紀の未来となっても変わら無いだろうという予言の伝説にもなる。恐ろしや、恐ろしや。。。