これより少し先のこと、この爺が山中でにわかに足腰が立たなくなって、草の
上につっぷしていたところが、この清水が身近に湧き出しているのに気附き、
これを飲みかつ痛む筒処に塗りなどすると、たちまち軀の痛みが去って、気分
さえさっぱりしたと言うのが、この清水の由来であった。松崎村役場の某とい
う若者の書記が、こんな馬鹿気たことが今日の世の中にあるものかと言って山
に行ったが、清水の近所まで行くと、たちまち身動きが出来なくなって、傍ら
の草叢の上に打ち倒れた。口だけは利くことが出来たので、虎八爺に助けてく
れと頼むと、お前の邪心は許し難いが、せっかくの願い故助けてはやる。今後
は決してかような慢心を起してはならぬと戒めて、その清水を汲んで飲ませた。
するとすぐに軀の自由が利くようになったそうである。これはその者の直話である。
「遠野物語拾遺45」
五、六年前には松崎村の天ヶ森という山の麓に清水が湧き出しているのを、
附馬牛村の虎八爺という老人が見つけ、これには黒蛇の霊験があると言い
ふらして大評判をとった。の時も参詣人が日に百人を超えたという。
「遠野物語拾遺44より抜粋」
この話は「遠野物語拾遺44」から続くものであるが要は、人の生命力に関係する力を持っているという清水の話ではある。実は、黒蛇は妙見神の使いであると云われる。虎八爺が何故急に
「黒蛇の霊験がある。」と言い出したのかは、虎八爺が恐らく妙見を信仰していたのではなかろうか?妙見は牛馬の守護神でもあるが、気になるのは荒川の駒形神社は当初、天ヶ森にあったという伝承がある。
現在の天ヶ森の頂には古峯山の古碑と剣があるだけなのだが、天ヶ森における古い祭祀はよくわかっていない。ただ修験の者が天ヶ森を支配していた事だけはわかっている。修験の者は天台宗に影響されていたから当然、妙見との関わりがあった事だろう。ましてや阿曽沼の居城の地には妙見宮があり、今でも妙見の石碑が残っているのは、妙見信仰そのものは阿曽沼時代にかなり広がったのではなかろうか。とにかく天ヶ森に妙見が祀られていたとなれば、この天ヶ森に荒川の駒形神社があったという伝承も納得できる。
そして
「遠野物語拾遺46」においては、実はこのハヤリ神が黒蛇大明神から早池峯大神に変わったというのは、早池峯大神がそもそも妙見と結び付く神であり、黒蛇大明神の元神であるという認識に基づいた為であろう。何故に黒蛇かといえば、黒は陰陽五行で北と水を示す色であるから、実は黒蛇大明神と言っている時点で、北に鎮座する早池峯山を意識していたのだと思われる。
妙見は、北斗七星と結び付く。その北斗七星は、人の生命を司る神でもある。それ故に、倒れた虎八爺や若者の書記が水を飲んで治ったというのは妙見の御利益によるものだろう。そしてその妙見と結び付く早池峯大神は祟り神でもあるから、そのハヤリ神の御利益などを馬鹿にした若い書記が倒れたのは、その祟り神たる所以だろう。
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