大昔に女神あり、三人の娘を伴ひて此高原に来り、今の来内村の伊豆権現の社にある処に宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与ふべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止まりしを、末の姫目覚めて窃かに之を取り、我胸の上に載せたりしかば、終に最も美しき早池峯の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。若き三人の女神各三の山に住し今も之を領したまふ故に、遠野の女どもは其妬を畏れて今も此山には遊ばずと云へり。
「遠野物語2話(抜粋)」この物語は、遠野の創世神話みたいなもので、かなり有名になっているが、少し疑問を感じたので、あれこれと書いてみようと思う。
まず母神の言葉
「今夜よき夢を見たらん」とは記されているが「良い夢」とは、なんであろうか?夢とは個人差があり、その人物の体験なりが夢となって出るものだが、ここでは霊的な夢、あくまでも神話的な神秘的な夢を言うのだろうと、漠然とは感じる。ただそういう霊的な夢の古い話は
「古事記」における神武天皇に遡るのだが、内容は夢という漠然としたものではなく、もっと具体的なお告げの夢が登場するのが、神武記の話となる。例えば高倉下の夢に天照大神が登場し、霊剣を授けるので神武に献上しろとか、神武の夢に天照大神が登場し、八咫烏を遣わすので道案内を頼めなどという夢と云うより、リアルなお告げ、神託でもある。これを「夢告」とも云う。この神代に登場する夢は、ギリシア神話にも登場しそうなリアリティに溢れている。
ところが、仏教説話集である
「日本霊異記」や
「今昔物語」を読むと
「五色の雲のたなびく…。」とか
「妙音が聞こえ…。」などという仏教的に美しい情景の夢などが登場してくる。
こうして、こま三女神伝承を考えてみると、仏教色に近い夢ではないかと思える。それより、霊華は降りてくる情景そのものは、現実のシーンというより仏教的な夢そのものに感じてしまう。
この三女神達の前に降りてくる霊華は蓮の花であるという事だ。この蓮を調べると、密教においては、
ラクシュミー(蓮女)である吉祥天女を本尊として信仰する吉祥天女法という修法があり、蓮は特別な意味を持つらしい。日本ではある時から、吉祥天と弁財天が同一視されるようになったが、弁財天は仏教の守護神である天部の一つであるが、元々はヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーとなる。つまり吉祥天はラクシュミーであるが、弁財天はサウスヴァティーと、全く違う女神となるのだ。共通するのは、どちらも蓮を台座とする事だが、日本の仏像をみればわかるように、殆どの仏像が蓮を台座としている。要は、蓮そのものが仏部の台座であるという事。
「日本霊異記」「愛欲を生し吉祥天の像に恋ひて感応して奇しき表を示す縁」を読むと、優婆塞(役小角)が吉祥天に恋し、夢で結ばれる話があり、また
「窮しき女王、吉祥天女の像に帰敬しまつり、現報を得る縁」では吉祥天が人の願いに感応した話が紹介されている。似た様に吉祥天が登場する話が「今昔物語」にもあるが、弁財天は殆ど無い。こうしてみると、弁財天よりも吉祥天の方が、より庶民的というか、民衆の生活に近く接しているイメージを感じる。ただ弁財天も昔話によく登場し庶民的になるが、それは七福神に組み込まれた江戸時代以降になるようだ。
蓮の花の関連性をみても、また本地垂迹という日本の八百万の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現であるとするという考えを踏まえてみても、三女神伝説に降りてきた霊華とは、女神と吉祥天を結びつけるものであると思う。夢とは実体験の具現化である場合と、強い願いが夢として登場する場合を考えても、三女神が見ようとした「良い夢」とは、吉祥天、もしくは吉祥天の母を強く思う夢であったのかもしれない。何故なら、この三女神の母の正体は不明だが吉祥天に当て嵌めれば、ヒンドゥー教の愛の神であるカーマであり、その娘がラクシュミーである吉祥天、そして吉祥天は毘沙門天の妃にもなるからだ。
蝦夷征伐の後に蝦夷国を平定する為に運ばれてきた、もしくは彫られた仏像は何かというと、それは毘沙門天だ。やはり同じように蝦夷国平定を願って熊野から運ばれてきた神は瀬織津比咩であり、それが鎮座する山が早池峯である事を考えた場合、毘沙門天の妻でもある吉祥天と結び付けようという意図から、霊華である蓮の花が三女神伝説に組み込まれたと考えても良いのではなかろうか。吉祥天の吉祥とは繁栄・幸運を意味し、また前科に対する謝罪の念(吉祥悔過)や五穀豊穣でも崇拝される事から、蝦夷平定後に毘沙門天と並んで祀られるべき存在であったと感じてしまう。