
昭和22年のカスリーン台風。そして昭和23年のアイオン台風により、猿ヶ石川が氾濫し、遠野では200人以上の死者が出たという。その後に、猿ヶ石川の氾濫を押さえる為に根の深い保水力のある桜の木を鎮魂の意味も込めて植えたという。

そして綾織の三大霊山の一つ、笠通山の頂に三笠山の石碑を置いたのだと。ただ現在、その意味を古老に問うても、その意味を知る人はいなかった。

風の神の大元と云われているのは、奈良県に鎮座している龍田大社である。祭神は、級長津彦命と級長戸辺命。実は近江国には三大神社が鎮座し、風の神である級長津彦命と級長津姫命が祀られており、これは別名息長宿禰王、高額比賣とも呼ばれ、二人の間にこの地で生まれた女子が息長帯比賣命、つまり神功皇后であった。

また他に伊勢神宮の内宮・外宮に、それぞれこの両神が祀られている。伊勢神宮においての外宮は
「風の宮」、内宮は
「風日祈宮」と呼ぶそうである。そして5月に行われる風日祈祭は
「御笠の神事」と呼ばれている。
遠野の笠通山に三笠山と刻まれた石が奉納されたのだが、これは恐らく「御笠(みかさ)」であったのだろう。「御笠」は「三笠」でもある。そして風害とは一般的に、今で言うところの台風の事を言う。つまり、アイオン台風の後に、笠通山に「三笠山」の石を奉納したのは伊勢神宮で風を押さえる神事である
「御笠神事」を意識してのものであったのだろうか。
ところが「遠野市史(第四巻)」の年表を確認すると、昭和23年(1948年)、「三笠宮殿下、水害復旧激励に御来県・遠野町にも御来町」と記されている。ただし、それに伴って「三笠山碑」を笠通山山頂に…という記録は載ってなかった。可能性として、この三笠宮殿下を意識しての「三笠山碑」であった可能性も否定できないだろう。
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