遠野郷より海岸の田ノ浜、吉里吉里などへ越ゆるには、昔より笛吹峠と云ふ山路あり。山口村より六角牛の方へ入り路のりも近かりしかど、近年此峠を越ゆる者、山中にて必ず山男山女に出逢ふより、誰も皆怖ろしがりて次第に往来も稀になりしかば、終に別の路を境木峠と云ふ方に開き、和山を馬次場として今は此方ばかりを越ゆるやうになれり。二里以上の迂路なり。
「遠野物語5」以前は「境木峠」であったようだが、現在は「界木峠」と、表記が変わっている。この「遠野物語5」に書かれているように、笛吹峠をやめて境木峠に変えた人が多く居たという事は、笛吹峠の恐ろしさが広く伝わっているという事だろう。
「近年此峠を越ゆる者、山中にて必ず山男山女に出逢ふ」つまり、笛吹峠は通るたびに山男や山女に必ず遭遇するという事。これだけの噂が、何故に広まったのか興味深くもある。
ただ峠を比較してみると、笛吹峠は峠の頂まで、曲がりくねった坂道を延々と登らねばならないのだが、境木峠はある程度まで登ると、あとは平坦な道を進むので、かなり楽である。
「行きはよいよい 帰りはこわい」上記は
「とおりゃんせ」という作者不詳の歌だが、遠野において
「怖い」とは
「疲れた」という意味であり、行きは元気で歩いて行くが、帰りはへとへとに疲れてしまうの意として捉える事が出来る。そういう意味では、笛吹峠とは、行きも帰りも
「怖い峠」ではあるのだ。
それでは境木峠が怖くないかといえば、さに非ず。境木峠には狼の話が多い。そして恐らく、狼を神として祀る"三峰様"の石碑も、一番建てられているのが境木や和山であろう。それでも、どう対処して良いかわからぬ山男・山女よりも、神でもある狼の方が性質もわかっている為か、対処し易かったのかもしれない。だから笛吹峠よりも、多くの人は境木峠を通ったのだろう。
そして笛吹峠に比べて境木峠の方が楽だろうと思うのは、沢が近いからではないだろうか。笛吹峠の沢は、谷の奥深くに降りないといけない。飲み水をとろうにも、谷底まで下るには難儀する。その点、境木峠は道沿いに沢が流れている為、簡単に喉の渇きを癒せる。そういう意味からも、笛吹峠の方が境木峠よりも「怖い」のだと考える。そしてもう一つ挙げれば、境木峠は南向きの道であり日当たりが良い。これは、笛吹峠と比較しても春の雪解けが早く、それだけ一年の利用頻度もかなり高くなるであろうから、やはり境木峠に人が集中したのだろう。