佐々木氏の曾祖母年よりて死去せし時、棺に取り納め親族集まり来て其夜は一同座敷にて寝たり。死者の娘にて乱心の為離縁せられたる婦人も亦其中に在りき。喪の間は火の気を絶やすことを忌むが所の風なれば、祖母と母との二人のみは、大なる囲炉裡の両側に座り、母人は旁に炭籠を置き、折々炭を継ぎてありしに、ふと裏口より足音して来る者あるを見れば、亡くなりし老女なり。平生腰かゞみて衣物の裾の引きずるを、三角に取上げて前に縫附けてありしが、まざまざとその通りにて、縞目にも見覚えあり。あなやと思う間もなく、二人の女の座れる炉の脇を通り行くとて、裾にて炭取にさはりしに、丸き炭取なればくるくるとまはりたり。母人は気丈の人なれば振り返りあとを見送りたれば、親縁の人々の打臥したる座敷の方へ近より行くと思う程に、かの狂女のけたゝましき声にて、おばあさんが来たと叫びたり。其余の人々は此声に睡を覚まし只打驚くばかりなりしと云へり。
「遠野物語22」
不思議な話だが…自分も直接聞いた事があり、また数人の人から、土淵の人は幽霊を見たという話が非常に多いという。土渕といえば佐々木喜善に代表されるように、
菊池照雄「遠野物語をゆく」において佐々木喜善を、こう評している
。「現実と裏側の世界との聖域に注連縄を張れない人であった。境界に霧がかかり、その切れ切れの間にあの世が見え、ついふらふらと踏み込んで行き、現実と幻想を混同してしまう人だった。」と。また本山桂川の佐々木喜善に対する印象は
「いつも茫洋とした眼で夢か幻想の方を見ていたのじゃないかな。」
佐々木喜善の生きている山口部落の時代は、良くも悪くも喜善中心であったろう。東京の大学へ行き、村長までした喜善は、周囲に対する影響力は、かなりあったものと思われる。集団妄想(集団ヒステリー)という言葉があるが、喜善はその影響力を持って、周囲の人間を集団妄想、もしくは共同幻想の世界に引きずり込んだ可能性も考えてしまう。ましてや佐々木喜善の住む山口部落の傍には、デンデラ野という"あの世"という地が、山口部落から見上げれば、すぐに見る事が出来た。そう、死とあの世が身近な存在として生活していたのである。
喜善の家には、旅人がよく泊ったという。境木峠を越える場合、喜善の家に一泊して早朝に立つか、夜中にそのまま進むかであったという。旅人が峠の夜の恐怖を拭い去る為に歌いながら峠を進んだというが、山口部落で家の寝床に臥して聴く歌声は、それこそ闇に蠢く亡者の歌声であったろうか。
ところで「遠野物語22」では曾祖母の通夜であったろうか。その曾祖母の死体が棺に納められている時に、その曾祖母の幽霊が現れた。
「小栗判官物語」を読むとわかるが、昔は土葬の方が火葬よりも手厚い葬り方だった。肉体が残っている為に、魂が復活する可能性を持たせていたからだ
。「日本霊異記(閻羅王の使の鬼、召さるる人の饗を受けて、恩を報ずる縁)」では、肉体が火葬され魂が戻れず別の人間の肉体に戻る話があるが、今でも死んで火葬までに時間を置くのは"よみがえり"を期待してのものだ。しかし「遠野物語22」では魂が死体に戻るのではなく、肉体とは別に曾祖母が姿を現わす。これは別の話では狐狸の悪戯にも例えられる話となってもおかしくないのだが、あくまでも幽霊譚として語られているのが「遠野物語22」である。
実は、似た様な話が
「遠野今昔(第四集)」で綾織に住む阿部愛助氏が紹介している。美代という女性の葬式の前夜、親族が集まっている中、死んだ美代の幽霊は姿を現わしている。
「とどが今、この部屋に入って来たるに、その肩のあたりに美代が、覆いかぶさるようにして追いかけ入り来たりたり。我ら驚き騒ぎたれば、闇に吸わるる如く消えたり。」この話も「遠野物語22」と同じような共同幻想であるが、共通点としては親族が目撃しているという点だ。
狐筋や犬神筋などという言葉があるように、ある特殊な信仰などに携わる一族を「何々筋」という表現を使う場合がある。「遠野物語」は喜善の住む土淵の山口部落を中心に語られる話でもある。日常から逸脱した不可思議な出来事の多くが、佐々木喜善や、その周辺の人々のの目や耳に入って来て語られ、それらを全て共有し日々を暮している集落の人々。人の細胞とは、食べ物から作られ、家族であればいつも同じものを食べているから細胞もまた同じであるという。つまり佐々木喜善が育った風土は、食べ物も含め、視覚や聴覚で捉えた物を全て共有してきた共同体であった。ある意味それは一つの家族の集団としても捉える事ができ、いわゆる「何々筋」と呼ばれてもおかしくはないだろう。この「遠野物語22」は「喜善筋の者達」が共有体験した物語でもあるのだろう。