小友村字上鮎貝に、上鮎貝という家がある。この家全盛の頃の事という。
家におせんという下女がいた。おせんは毎日毎日後の山に往っていたが、
そのうちに還って来なくなった。この女にはまだ乳を飲む児があって、
母を慕うて泣くので、山の麓に連れて行って置くと、おりおり出ては乳
を飲ませた。それが何日かを過ぎて後は、子供を連れて行っても出なく
なった。そうして遠くの方から、おれは蛇体になったから、いくら自分
の生んだ児でも、人間を見ると食いたくなる。もはや二度とここへは連
れて来るなと言った。そうして乳飲児ももう行きたがらなくなった。
それから二十日ばかりすると、大雨風があって洪水が出た。上鮎貝の家
は本屋と小屋との間が川になってしまった。その時おせんはその出水に
乗って、蛇体となって小友川に流れ出て、氷口の淵で元の女の姿になっ
て見せたが、たちまちまた水の底に沈んでしまったそうである。
それからその淵をおせんが淵といい、おせんの入った山をば蛇洞という。
上鮎貝の家の今の主人を浅倉源次郎という。蛇洞には今なお小沼が残っ
ている位だから、そう古い時代の話では無かろうとは、同じ村の松田新
五郎氏の談である。
「遠野物語拾遺30」
この「おせんヶ淵」はまるで「竜の子太郎」のフロローグみたいな話である。「竜の子太郎」は、日本各地の民話組み合わせて作られた民話であるというが、小太郎の両親の設定は、父が白龍で母は蛟であるという。この「遠野物語拾遺30」には父親が登場せず、記述からどうも父無し子である雰囲気は伝わる。つまり母親のおせんは一人で子供を身籠り生んだのか、もしくは「竜の子太郎」の設定と同じく、初めから龍同士で交わり生れた子を人間として育てていたのかもしれない。
ところで全国の神社仏閣には、龍に関する伝説が数多くあり、やはり牡龍と牝龍との結び付きから、牡龍が去って行き、牝龍だけが残る話が多い。牝龍の大抵は、角の無い龍で
蛟(ミズチ)であり、その蛟は別に
「水霊(ミズチ)」とも書き表す。このミズチの形は宗像三女神が祀られている厳島神社において、平家納経の金銅製経箱、銀製の雲を吹き出し、前足に宝珠を持つ金の牝龍として浮き彫りにされている。それを
「螭竜」もしくは
「蛟竜」と書き記す。その螭竜が海の藍を示す藍地に黄色の螭竜紋とされ
平家の守護となっていたようだ。それと同じものが琵琶湖の竹生島の都久夫須麻神社の神紋となっているのは、やはり同じ信仰が伝わってのものだろう。また那智の滝における飛竜権現や清滝権現を図像で表した場合は観音であり女神の手には、常に青い宝珠を持っているのは、牝竜であるミヅチが観音や女神の姿で表現されている為だ。そして手にする青い宝珠は、そのまま水を意味している。つまり、それら全てを称して水神であり、その信仰に基づいて竜などの昔話が誕生しているようだ。
おせんが蛟だとして、小友には古くから蛟を祀る神社がある。それは厳龍神社だ。御神体の不動岩の根元から湧き出る水は神水と云われ、岩にに刻まれている蛇腹の痕は、蛟(ミズチ)が昇降した痕であるという。そう氷口も含め小友の信仰の中心は、この厳龍神社となる。
ところで
"おせん"という名前から想像するのは
「千と千尋の神隠し」という宮崎アニメがある。千と呼ばれる千尋は、白竜となるハクと日々を過ごす。最後は別れてしまうのだが、宮崎駿にも、牡龍と牝竜の伝説を元に「千と千尋の神隠し」を制作したのであろう。千尋が千(せん)と呼ばれるのは、どうもこの「遠野物語拾遺30」に登場する蛇体となった"おせん"を思い出してしまうのだ。