
龍田明神は紅を好み、紅葉を神木とするそうである。それは、紅葉の葉先が八つに切れているのは、矛の刃先に擬えているからであるという。その矛とは、天の逆矛を意味する。また神仏習合から、釈迦の示した八相と紅葉の八つの葉先が結びつくのだと。

この
「龍田」の作者は
金春禅竹(1405~1471)であり、実際に「龍田」を観た事は無いのだが、この「龍田」の内容を読む限り、余りにも美しい真っ赤な紅葉が脳裏に浮かびあがる耽美的な作品であると思う。神を題材にしたこの「龍田」は、作者である金春禅竹が龍田姫に何を感じ、何を伝えたかったのかを意図している作品でもあるのだろう。

仏教の教えを広めようとする僧が、龍田川を渡ろうとする。そこに巫女が現れ
「川を渡れば神と人との中が絶える故、渡ってはならぬ。」という。この川とは竜田川の事であろうが、
六人部是香「竜田考」によれば
「廣瀬川も此の竜田川の流れ合ひつる後は廣瀬川の名は無くなりて、彼土橋の辺りより河内の国にいたるまで、凡二里ばかりが間をむかしは竜田川とぞいへりける。」と記されている。ここでいう廣瀬川とは
「日本書紀」天武天皇4年(675年)4月10日条での
「風神を龍田立野に、大忌神を広瀬河曲に祀った。」を意図しての廣瀬川である。つまり、廣瀬神社と龍田神社は繋がっているという意味に捉える事が出来る。
そしてこの「龍田」には
「月も西に落ちる頃の滝祭りに、明神の前に散る紅葉は、そのまま神に供える幣である。」と記されているが、ネット上で竜田大社の滝祭りを調べると4月3日とあり、秋では無く春になっている。直接、竜田大社へ電話して聞いてみても
「古来は4月4日であり、現在は4月3日となっておりまして、秋に滝祭りが行われたという事は無いと思われます。」と述べた。それでは何故、能の「龍田」には
「秋の滝祭り」と記されているのだろうか?

龍田姫は、秋を司る女神という位置付けになっている。その秋の龍田姫に触発されてか、どうやら後に春の佐保姫、夏の筒姫、冬の白姫と四季の女神が揃うのだが、それでも強い光を放っているのは龍田姫だけである。その秋の龍田姫故に、春の滝祭りを秋に記述した可能性も、当然あるだろう。「龍田」において
「夕日で龍田の桜は色濃くなった。桜に照る夕日は紅葉に降る時雨である。」という意味の歌が紹介されているが、この歌から読み取れるのは、薄桃色の桜を濃い赤に変えるのは夕日という事だ。
黄金伝説に付随する歌に
「朝日さす、夕日輝く…。」この朝日と夕日が同時に差す場所に黄金が埋められているとの伝承が、日本全国に広がっている。また、竜田大社の由緒に
「仍て吾宮を朝日の日向う処夕日の日隠る処の竜田の立野の小野に造営して、吾前を鄭重に斎き祀らば、五穀を初め何れの作物も豊穣ならしめ、災禍も自ら終息して、天下泰平の御代と成るべし。」とあり、つまり竜田大社の鎮座する地とは「朝日が差し、夕日輝く地」であるという事なのだろうか?いやこれは、暗に廣瀬大社と竜田大社の融合を意味するものと考える。何故ならば、廣瀬大社と竜田大社の位置関係は、東と西になるからだ。

廣瀬大社では2月11日に例祭として「御田植祭」が行われる。大忌祭の御田水口祭礼に由来するもので、砂を雨に見たてた祈雨の神事であるそうだ。拝殿前の広場を田に見立てて田植の所作を行い、それに対して参詣者と田人・牛に扮したひとが一斉に砂をかけあうもので、「砂かけ祭」とも呼ばれるという。そして竜田大社の例祭は4月3日の滝祭りとなる。竜田大社の社務所に聞くと、竜田大社は桜の名所としても有名であり、滝祭りの時に桜が花を添えるという。しかし龍田姫は秋を司る神であり春の女神では無い。そこで前に紹介した歌の意味が甦る。夕日を浴びた桜の花は赤く色濃くなり、まるで秋の紅葉のようになるという事だ。
ここでもう一つ紹介したいのは、日本の季節と農事の流れである。桜の咲く頃に田植えを初めると共に、日本人はお花見を楽しむ。そして秋の収穫の時期になると月見を楽しむと同時に、紅葉をも楽しむ。春の田植えと花見、秋の稲刈りと月見は、対局と成る農事のセットとなる。そして山の神の風習を思い出してみよう。
桜の咲く春に、山から山の神が降りてきて田の神に変わる。そして、秋の紅葉の時期に山へと帰り、山の神となる。つまり山の神は、田の神でもあるという事。陰陽五行で言えば、春は東であり、秋は西となる。つまり山の神は東から現れて西へと向かう。先に記したように、広瀬川は竜田川に合流し融合する。つまり広瀬の水神が、龍田と結び付くという事に等しい。風とは古来、山が風を作り出すと信じられてきた。これを厳密に述べると、山には滝があり、たぎり落つ水の力によって風は生まれる。これは滝の傍に近付いた者はわかるであろうが、滝は確かに風を起している。

ところで「龍田」は「立田」とも記されるのは、「立つ」「発つ」「起つ」に通じるからであろう。春に山から下り、田に降り立った山の神は、秋の紅葉の頃に、田から再び山へと「発つ」のである。これが日本の安寧な循環となり、日本という国を想う気持ちにもなる。だから天武天皇は、広瀬と竜田を祀ったのだと思う。つまり、広瀬の水神と竜田の風神は同じ神であろう。「龍田」の中にそれは龍田の滝祭りで桜が夕日を浴びて紅葉の様に真っ赤に染まった情景を、作者である金春禅竹が暗に示しているものと考える。
「月も西に落ちる頃の滝祭りに、明神の前に落ちる紅葉は、そのまま神に供える幣である。龍田の山風につれて降る時雨の音は颯々としてさながら神楽の鈴の音となり、立つ川波は白木綿に見える。神風松風の中に紅葉は散り乱れ、夜明けの鶏も鳴いて夜が明けると、幣も小忌衣も風に翻る。」
風の中で散り乱れるのは、桜でも紅葉でも、同じという事になろう。桜が散るのは春の終わりを告げ、紅葉が風に舞うのは、秋の終わりを告げる。それを朝日を浴びた桜の花びらと、夕日を浴びた桜を紅葉に見立てて表現しているのだが、上記の文で"神に供えるとは"つまり、水を発生し風を起す、ここでは滝に向かっての言葉であろう。滝の神といえば、遠野においては早池峰の神である瀬織津比咩を示す。また鳥海山に祀られる大物忌は広瀬の神と同神であるというが、鳥海山大権現とは八十禍津日神を示す。この八十禍津日神は、天照大神の荒魂であり、別名瀬織津比咩という。また南安曇の神社に祀られる瀬織津比咩は、広瀬から勧請されたという。つまり広瀬の神と竜田の神が同神であるならば、その別名は瀬織津比咩という事になるのだろう。
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