
これは、河野水軍の末裔の方から聞いた話だ。3.11の三陸大津波が発生し、その祖父から
「昔、我が一族がお世話になった地域であるから、お前も奉仕してきなさい。」と言われたのだという。その内容の詳細とは、河野水軍の前身は安東水軍であるという事である。
河野氏を調べると、越智氏と結び付く様であるが、越智氏は神代と結び付く家系である為、どこかで捏造が入ったものと考えるのが定説になっているようだ。また河野氏は源氏との結び付きもあるが、これは平清盛が無くなってから、平家の滅亡を察知した為なのか、平家に反旗を翻した。また河野氏の系図にも源氏は入っているが、その人物は架空の人物であり、恐らく時代の流れから源氏との結び付きを作ったのでは?とも云われている。つまり河野氏の本当の出自は、未だに謎の様である。
また河野氏の末裔の祖父の「昔、お世話になった…。」という言葉は
「外東日流外三郡誌」に記されている様に、十三湊が大津波で滅亡の危機に瀕した事に由来する言葉であった。学説上は、東日流外三郡誌に記されている大津波は存在しないものとされているが、河野家では代々、それが語り継がれているのだという。
前九年の役の後、安倍貞任は斬首され、その弟の安倍宗任は当初、伊予の国へと流された。何故伊予の国なのかは、その時代から伊予の国は流刑地であるというのが一般的であった。しかし解せない事がある。安倍宗任は伊予の国で若干の勢力を作ったので、伊予の国から次は肥前の国へと移動されたという。確かに、蝦夷の国からすれば、遠い伊予の国より更に遠い肥前の国へと流刑されたのだから、再び蝦夷の国へと戻る事は難しいだろうと思ってしまう。しかしだ、安倍宗任は伊予で勢力を築いた後、今度は肥前の国へ行き、その安倍宗任の子孫は松浦水軍と結び付いている。
安倍氏は蝦夷の地に於いて奥六郡を拠点としていた。この奥六郡は海の無い地域である。しかし安倍貞任の息子である高星丸は戦の開始と共に十三湊へ行き、安東水軍の祖となる。そしてだ、河野水軍の祖も安東水軍であるのは、時間軸が少々伴わない。河野氏の発生時期と、安東水軍の発生時期は、然程変わらないのだ。考えられるのは、元々水軍の技術を持っていた氏族が安倍氏であり、それを息子の高星丸に伝え、また伊予に流された安倍宗任が河野氏に伝えたというのなら納得する。つまり安倍氏は奥六郡を本拠地としたのではなく、海の無い奥六郡に何らかの理由から封じ込められたと考えれば納得するのだ。となれば、再び肥前に流された安倍宗任は、松浦水軍と結び付いたのは本来、元々の水軍技術が肥前の国から来たものではなかっただろうか?奥州藤原氏のDNAを調べてもアイヌなどの遺伝子は無かったという。安倍氏そのものが本来、蝦夷の地が出自で無かったというのならば、安倍氏はどこから来たのかという理由が水軍の技術から、考えられる。元々は海の民であった安倍氏という氏族の過去が見え隠れする。
ところで冒頭に貼った画像は、丹内山神社の御神体とも云われる巨石である。実は、この河野氏の末裔の祖父曰く、河野氏の信仰してきたものの祖は、丹内山神社であったという。知っての通り、丹内山神社は安倍貞任などの安倍氏を祖とする、奥州藤原氏が寄進し庇護していた神社である。その丹内山神社の創建は、承和年間(834~847)に空海の弟子が不動尊像を安置し、「大聖寺不動丹内大権現」としたのが始まりであると伝えられる。「丹内」は「種内」とも「胎内」とも伝えられる。「種内」も「胎内」も大まかに言えば、内包される意味を有する。御神体の巨石にも穴があり、そこを潜る事を「胎内潜り」と云う事から、「丹内」と「胎内」は御神体を通して出来た神社名では無いかとの推測が成り立つ。
また当初は「大聖寺不動丹内大権現」というのは「権現」そのものが神々の借りの姿をいう事から、不動明王というのは神々の表だった借りの姿である。「胎内仏」という言葉もあるように、本来は表だっての不動明王であり、その胎内には本来の神が眠っていると考えて良いだろう。そういう意味を含んでの丹内山神社であろうと自分は考える。そして
「谷内権現縁起古老伝」には
「当社の大神は地神なり。同郡東晴山邑滝沢の滝に出現す。」とある。

「谷内権現縁起古老伝」に記される「滝沢の滝」とは、現在の滝の沢神社の御神体と祀られる滝である。その神社こ祀られる祭神の名は、早池峯に祀られる瀬織津比咩である。丹内山神社が、滝の沢神社、そして早池峯山に向けられているのは丹内山神社と滝の沢神社と早池峯が一直線に並ぶ為であり、それは滝を通して早池峯を拝むという事から、丹内山神社は早池峯の遥拝所の意味合いを持つ神社であろう。

また
「谷内権現縁起古老伝」には続いて
「当に今此石を以て礫に擲げ、其の落ち止まる地を以て我が宮地と為すべし。」とある。これは
「逃げ石」の伝承として、今も伝えられる。
昔早池峰山に、白髭が膝まで届く老翁が住んでいたという。或る時の事、この老翁が小石を足で蹴り落とし、早池峰山を下っていったという事である。ところが、この石の取り除かれた所から、水が湧き流れ出て、今の猿ヶ石川になったと云う事である。この老翁が蹴り落とした石は、綾織の根岸の里で動かなくなったと。それを確認した老翁は、そのまま再び早池峰山に帰ったのだという。しかしその石は不思議な事に、その土地から逃げ出し、一夜のうちに和賀郡丹内村のヤツアナのガコに行って止まったと云う。今でもその石はその淵の中にあって、権現頭のような形をして、常に早池峰山を睨んでいるという事である。
この伝承に登場する「逃げ石」こそが、恐らく「アラハバキの岩」と称される丹内山神社の御神体であろう。石の出自が早池峯から出でたものが「谷内権現縁起古老伝」と結び付く。
早池峯には安倍貞任の伝説がいろいろあるように、安倍氏が早池峯を信仰していたようだ。その早池峯信仰と結び付くのが東和町の丹内山神社であり、この丹内山神社で安倍氏を祖とする奥州藤原氏と結び付く。つまり河野氏の信仰する神社の祖が丹内山神社であるいう事は、それは早池峰信仰を意味する事になるのだ。また河野氏の拠点である伊予には三島神社があるが、その三島神社は伊豆の三島神社と結び付く。伊豆と言えば、始閣藤蔵の名前が挙がる様に、早池峯信仰を中心として、伊豆であり伊予の国との接点が見えてくるのである。
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