佐々木君の友人田尻正一郎という人が七、八歳の時、村の薬師神社の夜籠りの夜遅くなってから、父親といっしょに畑中の細道を家に帰って来ると、その途中、向うから一人の男が来るのに行き逢った。この男は向笠のシゲ草がすっかり取れて骨ばかりになったのを冠っていた。少し足を止めて道を避けようとすると、先方から畑の中に片足踏入れて体を斜めにして、道を譲って通した。行き過ぎてから父に、今の人は誰だろうと訊くと、誰も通った者はないが、おれはまた何してお前が道に立止まりなどするのかと思っていたところだと、答えたという。
「遠野物語拾遺162」
平安時代の夜は、魑魅魍魎が跋扈している時代であったようだ。その為か8世紀の
「養老官衛令」では日没以降、道路の辻ごとに篝屋を設けて火を焚き、通行人を取り締まったという。
柳田國男「妖怪談義」には黄昏時は人の顔もよくわからないので、すれ違う人に声をかけるのだが、2つ以上声を返すのは人間では無いと思われていたようだ。例えば1488年に制定された禁令では、日没以降、音せてとをる者は"悪党"とみなし、急用の者は「提灯・松明」を持って往来する事が定められた。そういう意味では、声をかけるのは人間か妖怪か判断するものであり、提灯や松明を持って歩くのも人間と判断する為の基準でもあったのかもしれない。夜の闇に紛れて行動する者は、泥棒などの悪党か、妖怪の類であるとされていた為であろう。
ところで先に記した
「音せてとをる者」だが、これは騒々しい者であり、往来を騒いで歩く者の事である。例えば遠野界隈でも週末になれば、飲み歩く者が多く出て、往来を笑ったり叫んだりと「音せてとをる者達」である。ただ昔と今の違いは、昔は町中にも街灯というものは存在せず、闇に包まれていた。その闇は、人間の通る道では無かったのだ。しかし電気が普及し始め、暗い通りが不安だからと、人の住む家の範囲は街灯が灯る様になった。つまり昔であれば、夜に飲んで騒ぎながら歩く者達は悪党であり、妖怪とも認定されたのだが、街灯が灯された為、普通の人間の歩く道に変わったのであった。
「遠野物語拾遺162」には、提灯や松明の記述が無いのだが、恐らく向うから歩いて来た男は闇の中を歩いて来たに違いない。つまりその時点で、普通の人間では無い事になる。実際に、子供であった田尻正一郎にはその姿が見え、その父親には、その者の姿が見えなかった。これは座敷ワラシは子供には、その姿が見えるなどというものに近く、俗信に二十歳までに金縛りを経験すると、一生経験するというものに近い。どこかで子供には、そういう心霊体験を出来る、もしくは目撃する要素があると信じられており、今でもそのような俗信を信じるものは多い。ただ、この「遠野物語拾遺162」での体験は、あまりにもリアルで歩いて来た者に対して道を譲ったが、その父親にはそれがわからなかったと。心霊現象の一つに、夢現の状態に体験するのがあるが、それが果たして夢だったのか現実だったのかという曖昧さを残すのだが、ここでは歩いて来た者の姿恰好がリアルに描写されているので、夢落ち話で無い限り、やはり一つのリアルな怪異譚となる。
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