遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
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猫の絵馬

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観応2年(1351)に描かれた【慕帰絵詞】の中の一枚を見ると、絵馬は神社に…というわけでは無いのが理解できる。山を祀っていれば、その山に対し拝む。また、神木としての信仰があれば、その神木に対して拝むというのが古代の信仰であったのだろう。遠野でも、昔は社が無いまま御神体である山や樹木や滝を拝んでいた時代が確かにあった。この絵は、絵馬が沢山飾られている老松の幹に囲まれた中に和歌の神である玉津嶋明神が祀られており、そこに「我に歌才を与えたまわれ。」と願っているところだ。
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ところで瀬織津比咩を祀る浪分神社に、養蚕の守護として猫の絵馬が祀られるようになった。その数は社の両脇に溢れるほどの多さであった。画像は、そのほんの一部を撮影したもの。
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猫は本来、仏教の経典を食い荒す鼠退治の為に輸入されたようだ。しかしいつしか愛玩動物となり、市民権を得る様になったのだが、まだよくわからない猫の習性により、化け猫のレッテルを貼られるようになった。しかし、経典を食い荒す鼠を捕ると共に、畑を荒す野鼠、そして蚕を食い荒す鼠をも捕る事から、野鼠だけを捕る狐に取って代わり、稲荷神社に祀られた場合もあるようだ。八岩まどか「猫神様の散歩道」には、福島県の猫稲荷なるものも紹介されている。
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遠野の山口部落には、妖怪キャシャという化け猫の話が伝わるが、猫が稲荷と習合しているものもある。その稲荷様は三毛であるというが、どうも化け猫であるキャシャと後に習合したようである。
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また別に、八岩まどか「猫神様の散歩道」には宮城県の「根古の森の神社」が紹介されている。そこでの猫神様は、養蚕の守護であり、村の人達はまず水神にお詣りし、天神様にお詣りし、そして最後に猫神様にお詣りしたのだという。これは浪分神社のパターンと似ており、水神である龍蛇神から猫神への移行は、庶民にとっての親しみ易さもあったのかもしれない。
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また住吉大社の境内社である楠珺社でも猫を祀っている。樹齢千年を超える楠の大木が、元々の信仰の対象であり、後に稲荷が祀られたが、江戸時代になって伏見での土人形の製法を習得した職人が猫の人形を伝えたというが、何故に猫になったのかは定かでは無い。奇妙な事に「初辰まいり」という行事があり辰の日に猫の人形を求めるというものらしい。ここでも猫と辰と、そして稲荷の奇妙な関係が読み取れる。
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初めの画像【慕帰絵詞】は古い松の木に祈願している図だが、住吉大社の境内社はは本来、楠に対する信仰から始まっているという。ところで「猫」は「根古」とも表すように「古い根」つまり、大樹、老樹にも繋がりそうだ。猫が山の主の伝説はいくつかあるが、山には樹木が生えるが、神社などに伝わる由緒などには弘法大師などが、杖を地面に刺したら大樹になったという話が、数多く存在する。または杖を地面に刺すと水が湧き出るなど、弘法大師など高徳な僧は山で修行をする為、その山の霊力を携えたというものが伝説として広がりを見せている。つまり猫も、どこかで山の霊力を携えた存在と言う認識があったのではなかろうか。
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山と密接な化け物は、やはりヤサブロバサという鬼婆であろう。これは彌彦神社に関わるが、そのヤサブロバサは山々を根城とし点々と移動するのだが、別に妙多羅天女としても知られる。妙多羅天女が猫から飛行する能力と嵐を起す能力を授かるのだが、これもどこか猫が山神であるような話となる。
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また、その妙多羅天女は奪った死体を杉の木にかけていたという。弥彦神社の鍛冶屋の母である妙多羅天女は、良い製鉄をする為に金屋子神が死体を求める様に、妙多羅天女もまた金屋子神の一族であったかのよう。杉の大樹に死体をかけるとはまさに、初めに紹介した大樹に祀られる神に対する祈願と同じである。絵馬の本来も、生きた馬を奉げてきた事から、妙多羅天女が山の大樹に死体をかけて来たのは、まさしく絵馬の原点に等しいのだと考える。猫の絵馬も本来は「山の大神」に対する信仰の結び付きであったのではなかろうか。
by dostoev | 2012-12-06 21:19 | 民俗学雑記 | Comments(15)
Commented by 権兵衛 at 2012-12-07 18:38 x
GOさんご無事ですか。
Commented by dostoev at 2012-12-07 21:38
権兵衛氏、大丈夫だぁ!
Commented by 権兵衛 at 2012-12-07 22:05 x
よかった!
Commented by 鬼喜来のさっと at 2013-01-06 14:12 x
肝心の猫絵馬の記事見逃していました(^_^;)
猫といえば、時々家に数日いなくなったりしますが、仲間内での位を上げるため、猫魔ヶ岳などの山に修行に行っているのだと言いますよね。山と猫については、おそらくユーラシア大陸や朝鮮半島の虎にまつわる山神の信仰が関係しているんでしょうが、もともとネコ科の動物は地下の巣穴や、樹木の上で生活していたそうですから、捕えた獲物を安全な樹の上に持っていって食すのは理にかなった習性なんだと思います。これに雷神や水神の性格が複雑に入り混じっているようなんですが、もしかしたら本州の山猫は縄文以後も絶滅せずに生き残って、山に生きる人々の記憶の中に残り、山猫伝説を形成していったんじゃないかと、最近はそんな気がしてます。
Commented by dostoev at 2013-01-06 18:50
狩猟民族であった日本人と犬との歴史は、深く長いのですが、同じペットとしての猫とは、犬と比較すると、かなり違う。そういう意味で、日本人は途中から輸入されて定着した猫に対して、様々な神秘を感じたのだと思いますよ。北陸には、山猫か?と思しき猫譚がいくつかあって、やはり化け猫の話を広げる事になってます。マタギの間で猿を撃つと「獲物が去る」のを嫌って「山猫を撃った!」と言うのは、単に言霊信仰も含め、猫に対する恐怖もあるのだろうと感じてしまいます。
Commented by 鬼喜來のさっと at 2018-02-11 14:41 x
今回の合地沢猫淵神社の猫絵馬の調査に同行させていただいたのは、この記事にある一関市教育委員会の川崎町字門崎の浪分神社に奉納される猫絵馬の調査に関連してのものなんですが、浪分神社は蛇神と言われる信州諏訪大社の分霊で、祭神はやはり瀬織津姫でしたね。昨年度末に一関地裁の検察審査会に行った帰りに何度かここを通ったんですが、ここは室根山から気仙沼宝鏡寺の前を通る浜街道へと抜ける気仙沼街道であり、陸前高田市矢作の猫渕神社の前を通る今泉街道や水沢正法寺へと抜ける東山への分岐点に当たる場所に鎮座しているので、気仙の猫淵神社の猫絵馬と同じ民間信仰に基づいて奉納されるのはほぼ間違いないようですね。裏付け取ってないですが、恐らくは気仙沼近辺で水揚げされた海産物はこの門崎の浪分神社の辺りから北上川の運搬船に乗り内陸部へと遡上していったんでしょう。
Commented by 鬼喜來のさっと at 2018-02-11 14:44 x
ニワタリ神の名が出て来たので、猫が蠱毒を生成して主人を毒殺しようとする仙台市若林区宗禅寺の義鶏の墓(鶏塚)と猫坂と仙台の猫淵の伝説を洗い直してますが、この猫による毒殺未遂事件が起こったという寛文十三年と言うのは、有名な伊達騒動(寛文事件)が起こった二年前であり、幼少時に実際に毒殺されかけた四代藩主・伊達綱村の治世なんですよね。この綱村はこれがトラウマになったのか神仏に傾倒し、鹽竈神社など領内各地の神社仏閣の修繕を行い、あげく藩の財政を傾かせて、隠居に追い込まれるんですが、日本一の茅吹き屋根で知られる水沢正法寺の現在の本堂もやはりこの綱村によって建てられたものなんですね。そして鶏塚には金鶏伝説がつきものですが、金鶏が登場する栗原市金成の炭焼き藤大夫伝説にも綱村が関係しており、炭焼き藤太の子と言う金売り吉次が京から招来したという嵯峨清凉寺の釈迦如来立像の写しを、金成の福王寺から青葉区の大崎八幡宮の別当寺である龍寶寺の本尊として遷させたのが綱村であり、同じく金鶏伝説のある平泉金鶏山の北東表鬼門にある高館義経堂を建立したのも綱村なんですね。そして嵯峨の五台山清凉寺と言えば光源氏のモデルとなった源融の山荘跡であり、彼の邸宅である六条河原院といえば、『宇治拾遺物語』に記される奥州塩竃の風景を模したという庭園に現れたという、能楽『河原院』で知られる源融の亡魂の逸話が有名ですよね。水沢の鹽竈神社には気仙の稲子沢長者が奉納したという塩釜があるそうですし、稲子沢の伝説も金の一対の鶴が登場したりと金鶏伝説と似ていますから、伊達綱村というスポンサーを通して繋がっている気がするんですね。
Commented by dostoev at 2018-02-12 10:01
川崎地域には、二つの波分神社があります。一つは猫の絵馬の神社ですが、もう一つの浪分神社は、元々諏訪大社から分霊された諏訪神社で、後から浪分神社になったと宮司さんから聞きました。もしかして、これと混同されているのかとも思えますが、瀬織津比咩を祀る浪分神社がどこから分霊されたのかは、確かに調べてはいませんでした。瀬織津比咩の痕跡は、下諏訪にありますが、そこまでの詳細された文書でも残っていれば良いのですが。とにかく気になるので、直接聞いてみる事にします。蛇から猫への移行は、普通の流れでしょう。
Commented by 鬼喜來のさっと at 2018-02-12 15:25 x
諏訪大社の分霊は薄衣字諏訪前の方の浪分神社でしたか、門崎の銚子浪分神社は天平宝字二年に藤原宇合による勧請で、維新前は長石権現と称したとありますね。諏訪社であれば蛇神であったのが、猫に変化したのかと考えていたのですが、写真見る限り、諏訪信仰特有の御柱がないですもんね。
Commented by 鬼喜來のさっと at 2018-02-12 16:20 x
銚子浪分神社と諏訪前の浪分神社は東山に抜ける砂鉄川を挟んでいるので、もしかしたら諏訪大社同様上下二社に分かれているんですかね。両浪分神社の創建には時代的にも川崎柵が関わっているのは間違いないでしょうし、銚子浪分神社は、やはり猫絵馬の奉納がある、矢作梅木の猫淵神社の縁起に登場する気仙沼河原崎の宝鏡寺の丁度真西に位置しているんですね。でないと、気仙の猫淵神社の習俗であるはずの猫絵馬が、旧仙台領内では川崎の銚子浪分神社にのみ納められているという説明がつきませんからね。となると銚子浪分神社の創建の古さの説明がつかないことから、例えば諏訪前と言う地名に残されるような、元々一つの諏訪神社であったものを、何らかの意図があって上流の銚子地区の方に分社を移動している可能性が見えてくるんですね。即ち勧請先の諏訪上下大社の位置関係から、銚子浪分神社の方を諏訪下社秋宮、その名が残る諏訪前の浪分神社を上社諏訪本宮大社とみた場合、諏訪下社と関係があるという瀬織津姫が銚子浪分神社の祭神というのも説明がついてくるんですよね。
Commented by dostoev at 2018-02-12 16:35
いやいや想像は後回しとして、教育委員会の方が銚子浪分神社の祭神は、諏訪大社から分霊されたと言ったのですか?川崎町薄衣字諏訪前1番地の浪分神社の宮司さんは、銚子浪分神社とは関係無いとおっしゃってましたが。
Commented by 鬼喜來のさっと at 2018-02-12 17:13 x
銚子浪分神社が諏訪社の分霊とあるのは前述のように、諏訪前の浪分神社の縁起とを混同してました。すみません。ただ近い場所にふたつの浪分神社を称する神社があるというのは解せませんね。長石権現を称した銚子浪分神社と諏訪社を称した浪分神社とは創建はどっちが古いんでしょうか。
Commented by 鬼喜來のさっと at 2018-02-12 17:18 x
正治二年(1200)三月、信州諏訪湖畔(長野県下諏訪町)に鎮座の元の官幣大社諏訪大社より勧請、諏訪大明神と称す。
維新以来浪分神社と改称。明治三年(1870)九月村社に列格。明治三十八年(1905)十月二十四日、弥栄神社祭神素戔鳴尊を合祀す。例祭には、鹿の頭を供えたが、現在は鮮魚を供える。旧暦の6月13、14、15日の天王祭の御鳩取の行事は、荒祭りとして知られ多くの参拝者で賑わう。社殿内には、秋田、宮城県等の他薄衣、門崎の和算家たちの「算額」5面、「俳句額」3面、「和歌額」2面等の他、「大絵馬」「小絵馬」等がある。境内には「伊達吉村歌碑」があるですから銚子浪分神社の方が古いですね。
Commented by 鬼喜來のさっと at 2018-02-12 20:46 x
銚子浪分神社の創建は天平宝字年間(757~765)でしたね。また、長石ではなく横石権現だそうです。民間伝承四十二号に「北上川の大洪水の際、川上から大蛇が流れ着いた。頭を祀ったのが、銚子の「銚子浪分神社」、胴体を祀ったのが薄衣の「浪分神社」だと言われている。銚子では、現在でも蛇を捕まえたり殺したりしない、といわれている。」とあるようなので、蛇と関係ないわけではないようですが、藤原不比等の子である藤原宇合がどこから勧請したかですかね。もっとも藤原宇合は天平九年(737)に没してますから、二十年後の天平宝字年間に勧請したというのはあり得ないんですが…。
Commented by dostoev at 2018-02-13 20:18
浪分神社の名称は、どちらも当初は違ったようですから、恐らく津波除けの意識から意図的に「浪分」を使用したのではないでしょうか。宮城県の浪分神社も当初は、稲荷神社であったものが、後から津波除けの霊験があるとされて浪分神社になったと云います。現在の両・浪分神社の位置を考えても、津波を意識すると思われる事から、どちらも水に縁の深い神でありますから、津波除けを期待してのものであった可能性はあります。それと勧請年代ですが、岩手県の多くが大同二年を創建としている事からも、どこか当てにできないもの。ただ蝦夷平定を期待して藤原宇合が勧請したという伝承だけは、信憑性は高いと思われます。10世紀になって青森県では、廣田神社と諏訪神社を藤原実方が勧請していますが、やはり蝦夷平定を願ってのもの。勧請した神社は、どちらも軍神としてのものでした。一方の元諏訪神社の方も、海の守護を期待して勧請されたものかもしれません。それが後に、津波除けに変化したのかも。
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