「稲荷大明神流記」において
「稲荷の本地は上社大明神は十一面、中社正妃は千手、下社正妃は如意輪…。」とある。つまり、観音と稲荷が結びついているという事。また
「中社正妃は千手、下社正妃は如意輪…。」とある事から"明神"の殆どが女、つまり女神であるという事がわかる。
また稲荷の起源の秦伊侶具の標的の餅に奇端を起した宇迦御魂命は別に
「専女御饌津神」とも呼ばれ、後に専女三狐神と書かれるようになっている。
「専女(とうめ)」とは、老女を意味すると共に女神の尊称でもある。しかしダキニ天が結びついたのは、もう少し後の話となるよう。つまり、それ以前に稲荷の本地として
「十一面観音・千手観音・如意輪観音」が結びついていたという事。
十一面観音の別名は
「大光普照観世音」とも云い、密号を変異金剛、茲愍金剛とも云われ、六道を救済する六観音に配する時は修羅道の救済者として女身を現ずるものとされている。「東大寺のお水取り」で執り行われる法要
「十一面悔過法要」というのがある。悔過とは生きる上で過去に犯してきた様々な過ちを、本尊とする観音の前で懺悔するという事。要は、天下国家の罪と穢れを滅ぼし浄化する観音が十一面観音という変化観音であり、その当時の浄化とは水による作用を言ったものであるからそれは、水の霊力を発揮する観音でもあるという事だ。
また千手観音は蜜号を大悲金剛と名付けられ、六道に配する時は餓鬼道の苦を救うとされているのは、我が子に乳を与え食事を与える母性の徳を有している存在であると。
そして如意輪観音は、密号を持宝金剛、与願金剛と云われの全ては如意宝珠から来ているよう。そしてこれらを含んで受け入れられたのが、後のダキニ天であるようだ。
「観音経」に
「観世音菩薩の慈意の妙なる事は大いなる雲の如。甘露の法雨をそそいで煩悩の炎を滅却し給う。」という功徳があるが、この甘露とはつまり、大きく訳すれば生命の水であり、不浄を洗い流す水でもあるよう。これは古来から伝わる天の眞名井の信仰と結びつくものであるようだ。
つまり観音そのものに水という功徳が備わっているのだが、日本にはまず八百万の神がいて、後に仏教が伝わってきた歴史を踏まえると、本来は女神の後に観音が上から被せられ信仰されたが正しいのだろう。つまり水の功徳の観音以前に、水の女神がおり、それに秦伊侶具時代に稲荷と結びつけられ、後に観音と重なっていったと見るのが正しいのだろう。
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