前にいう松崎沼の傍らには大きな石があった。その石の上へ時々女が現れ、また沼の中では機を織るひの音がしたという話であるが、今はどうかしらぬ。元禄頃のことらしくいうが、時の殿様に松川姫という美しい姫君があった。年頃になってから軽い咳の出る病気で、とかくふさいでばかりいられたが、ある時突然とこの沼を見に行きたいと言われる。家来や侍女らが幾ら止めても聴入れずに、駕籠に乗ってこの沼の岸に来て、笑みを含みつつ立って見ておられたが、いきなり水の中に沈んでしまった。そうして駕籠の中には蛇の鱗を残して行ったとも物語られる。ただし同じ松川姫の入水したという沼は他にも二、三か所もあるようである。
「遠野物語拾遺31話」
詳細は
「松川姫の怪」を読んでいただきたいが、冒頭に大きな石があり、その石の上に女が現われたとあるが、似たような話に
「遠野物語拾遺29(お鍋が淵)」がある。非業の死を遂げた女が死んで尚、現世に現れる伝承というものの根底には、それを風化させない人々の意識があったのだろう。
また機を織る音がしたというものは、七夕の織姫が川辺で機を織る様に、似たような話が全国に広がりを見せる。遠野の来内に鎮座する伊豆神社には拓殖夫人が来て、機織りを伝えた伝承が残る。
「遠野物語拾遺34」に紹介される閉伊川の腹帯ノ淵の異伝にも機織りの音がし、女が機を織っていた伝承が残る。ところが、松崎沼にも、伊豆神社にも、そして腹帯ノ淵にも蛇の伝承が残るのは、機織りと龍蛇神が繋がっているものと考えて良いだろう。そこには竜宮の伝説と結びつき、山中にも川の中にも、竜宮が存在し、そこから出入りした女が目撃されたという伝承になるのだと思う。
また文中に
「元禄頃…。」とあるが、松川姫の異伝では時の殿様は南部弥六郎である南部利剛であったようだ。南部利剛の生誕は文政9年(1826年)12月28日であるから、元禄年間(1688年~1704年)であるから、100年以上の開きがある。この辺が、口承伝承の曖昧さを伝えるものか。
この松川姫は後に弁財天と習合されたとあるが、祭日は5月15日となる。この日は、水天の縁日で、水天は十二天・八方天の一つであり、水を司り、旱天・洪水の難を守るという竜神である。また、京都の下鴨神社・上賀茂神社の例祭と同じである為、水に結び付けての祭日としたのだろう。
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