今まで神楽殿に飾られ、様々な演目を観ていた筈の権現様が、最後に持ち出されて登場する。ここでの権現とは、早池峰権現を意味する。「ここは何処?」という歌が、妙に心に響いてくる。
「ここは何処…。」に対する合の手が「黄金花咲く…。」という繰り返しは、始閣藤蔵が早池峰に対し、もしも金が採れたらお宮を建てるという誓いの元、見事に金を発見し早池峰山頂にお宮を建てた逸話が思い出される。早池峰権現の「ここは何処?」とは、どこからか連れてこられたのだろうか?
神楽では初め人とに抱えられ踊っていた権現が、人と一体となって独立して踊るようになる。そしてその背丈は、更なる高みに登った様は、まるで早池峰の山頂に鎮座したかのよう。その権現を神として崇めるかのような神官を、上から見下ろす権現はまさに、早池峰の頂から見下ろしているようにも感じる。
権現に噛まれると、病気や怪我をしなくなると云われるが、ここでの権現の歯噛みする乾いた音は静かに響き渡り、まるで荒ぶる神の空しさを表しているかのよう。その後に、高みにいた筈の権現は神官の目の位置にまで低くなって対座するのは、一つの誓約(うけい)のように見えた。どこからか連れて来られた権現が早池峰山に鎮座し、早池峰権現として早池峰の麓に住む人々にとっての神として鎮座する為の誓約(うけい)ではなかったのか。