ここ数日、何故か「La Campanella 」が聴きたくなって、毎日、毎日聴いている。自分が今まで聴いて来た中で、一番好きな演奏がAlice Sara Ott の「La Campanella」だ。
「La Campanella 」を聴きたくなった理由だが、もしかして、もうすぐ七夕という事もあるのかもしれない。そしてもう一つ思い出すのは、宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」だ。星祭りの夜に、居場所を失い、孤独をかみしめながら登った天気輪の丘で、ジョバンニは銀河鉄道に乗り込み、親友カムパネルラと銀河めぐりの旅をしばし楽しむ。旅の終わりにジョバンニはカムパネルラに、どこまでも一緒だと誓うが、カムパネルラは消えてしまう。実際、この「銀河鉄道の夜」は宮澤賢治が妹を失い、失意のあまり列車で、北へ北へと向かった事が大きかったとも云われる。宮澤賢治は、夜空の星々を遠野の西の外れにある種山の立石でよく見上げていたという。宮澤賢治の時代はまだ街灯やネオンの灯りも無く、本当に綺麗な天の川や星々が見えた事だろう。「死んだらお星さまになる」と、どこから発生したかわからない俗信だが、夜空を見上げる人は失ったものを確認する為に見上げているのかもしれない。宮澤賢治も、妹を失った後でも星空を見上げ続けていたようだ。星の神話が多く語られる古代キリシアだけでなく、世界中のあちこちで星の神話があるように、人間というものは失ったものを星に重ねて見上げていたのかもしれない。
ちなみに「Campanella(カンパネラ)」とは鐘の意味で、別れの意の八点鐘やお寺でのゴーン!もチーン!も全て「Campanella 」。なんとなく別れの意が鐘には多く含まれていそうだが、神霊を呼ぶ時も鐘を鳴らすので、ある意味出会いの鐘とも云える。「銀河鉄道の夜」において、ジョバンニはカンパネラと出会ったのが大きかったのか、失ったのが大きかったのか、カンパネラという鐘の名前の意味を、宮澤賢治はどちらを意図したのであろう。ところで今年の七夕の夜空は、晴れ渡るだろうか?それとも雲に覆われ雨になるだろうか?一年に一度会う、織姫と彦星は、会えるのか?会えないのか?そのどちらに向けて「La Campanella 」は鳴るのだろうか?