今日の月は空気が澄んでいたせいか、赤味を帯びて無くクッキリと見えた。形は弓型に近いものだ。月読命神は別名月弓尊とも称するので、この弓型の形が実は、月を代表する形なのかもしれない。
ギリシア神話での月神アルテミスは、弓と矢を携えている。月神のイメージするアイテムは、やはり弓なのだろう。
ひさかたの天の戸開き高千穂の岳に天降りしすめろきの神の御代より梔弓を手握り持たし真鹿児矢を手挟み添えて大久米の丈夫健男を先に立て靫取り負ほせ山川を岩根さくみて踏み通り国覓ぎしつつ ちはやぶる神を言向け服従はぬ人をも和し掃き清め仕へまつりて蜻蛉島大和の国の橿原の畝傍の宮に宮柱太知り立てて天の下知らしめしける皇祖の天の日嗣と次第来る君の御代御代隠さはぬ赤き心を皇辺に極め尽して仕へくる祖の職と事立てて授け賜へる子孫のいや継ぎ継ぎに見る人の語り継ぎてて聞く人の鑑にせむを惜しき清きその名ぞ凡ろかに心思ひて
虚言も祖の名絶つな大伴の氏と名に負へる丈夫の伴(万葉集4465大伴家持)
この歌は、大伴家持の最後の長歌であるとされるが、最後に自分の氏族の役目を詠ったようだ。ウィキペディアによれば、大伴家持は古くからの氏族である大伴氏で天孫降臨の時に先導を行った天忍日命の子孫とされ、物部氏と共に軍事の管理を司り、両氏族には親衛隊的な大伴氏と、国軍的な物部氏という違いがあり皇宮警察や近衛兵のような役割をしていたという。この大伴家持の歌には梔弓を手にして
"まつろわぬ者ども"を服従させ皇祖に仕えたとある。そう、つまり弓は戦の象徴でもあったのが理解できる。
槻折山 品太の天皇、此の山にも狩したまひ、槻弓を以ちて、走る猪を射たまふに、即ち、其の弓折れき。故、槻折山といふ。「播磨国風土記」
津軽の蝦夷に諜げて、許多く猪鹿弓・猪鹿矢を石城に連ね張りて、官兵と射ければ、日本武尊、槻弓・槻矢を執り執らして、七発発ち、八発発ちたまへば、即ち、七発の矢は雷如す鳴り響みて、蝦夷の徒を追ひ退け、八発の矢は八たりの土知朱を射貫きて、立にころしき。其の土知朱を射ける征箭は、悉に芽生ひて槻の木と成りき。其の地を八槻の郷と云ふ。「陸奥国風土記」
これらの風土記に登場する弓と矢は槻弓・槻矢であり、槻の木から作ったものであるようだ。槻は月の依代の樹木でもある事から、月の霊力を弓と矢に託し威力を加えたものと判断してよいのだろう。こうして思い出すのは、神功皇后の伝承となる。神憑りした神功皇后が新羅を得る為に真っ先に呼んだ神名が撞賢木厳之御魂天疎向津媛命であった。
「日本書紀(神功皇后)」の一節に
「和魂は王身に服ひて壽命守らむ。荒魂は先鋒として師舟を導かむ」とある。この一節は、月の二面性を表しているのではなかろうか?月の民俗を調べると、月を見て孕む伝承が、かなりある。平安時代にも女性が月を見ると妊娠するという俗信があったように、満ちた月は妊娠とも結びついたようだ。そのように考え振り返ると神功皇后は、神功皇后に宿った月神によって孕んだとも考えられる。そして、それはつまり、和魂が神功皇后を守るとした事から、月と妊娠の俗信が、和魂と結びつくのだろう。
そして荒魂であるが、月は海に生きる海人族が信仰したものでもあった事から「…荒魂は先鋒として師舟を導かむ」という言葉となったのだろう。ただ、ここでの舟を導くとは、航海だけでなく戦の勝利をも導くと考えて良いだろう。それが槻弓・槻矢が月の霊力が籠っている事に繋がるのだと考える。
とにかく「日本書紀」での神功皇后の時代を読むと、月は弓であり、武力をも意味する事に当て嵌まるのだ。奇しくも、岩手県室根神社に養老年間勧請された神とは、まつろわぬ蝦夷の民を討伐する為に運び込まれた神であり、天照大神の荒魂である撞賢木厳之御魂天疎向津媛命であり、別名瀬織津比咩であった。こうして考えると、月の霊力を宿した存在であった瀬織津比咩は、ある意味ギリシア神話のアルテミスに近いのかもしれない。といっても、それは一つの側面であろうが…。