
以前に
「大祓祝詞」の移し世として近江国の琵琶湖は大祓祝詞の世界観を具現化させた地では無いかと書いた。その大祓祝詞に関係の深いものが「古事記」による伊弉諾が黄泉の国から出て行った行動である。それは筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原において穢祓して、多くの神々を生んだ行為である。
伊弉諾は当初、伊邪那美と結びついて多くの神々を生んだ。しかし伊邪那美は死に、黄泉津大神となってしまった。そして伊弉諾は筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原において穢祓し、多くの神々を生んだ事に対し、違和感を覚えるのだ。日本の神々を祀る神社の原初は、彦神と姫神を祀っているのが一般的である。聖なる数字である"3"には、真中の意味も含まれるのは、陽数である1=男であり、陰数である2=女となる。その1と2が結びき、その間(真中)から3が生れるのだと。つまり、伊弉諾の阿波岐原において神々を誕生させるには姫神が足りないのが理解できる。

ところで黄泉の国において登場し、伊弉諾に対し何かの言葉を放った謎の神とされる菊理媛神は白山に鎮座する水神でもあるとなっている。恐らく伊弉諾に対し、穢祓を勧めたのは菊理媛神であろうという事だ。
産湯には、穢祓の意味があるという。新しく生まれ出た生命の体の穢祓を行って祝い、再生された魂を寿ぐための儀式とされていた。つまり伊弉諾の阿波岐原での行為は、神々を誕生させる為では無く、生まれた神々を産湯によって穢祓し祝っている行為であったのだと考える。となれば既に神々は誕生していた事になる。姫神無しで?と思うのだが、実は既に姫神と結びついていたのだと思う。その姫神とは、水神であったのだろう。それは菊理媛神であったのかもしれない。もしかして、他の水神であったのかもしれない。水神であるが故に、水は水神の依代である事から、穢祓そのものは水神との「目合ひ」であったのだろう。それ故に、遠野の多賀神社に分霊された祭神は、伊弉諾と水波能売命となったのだと理解できるのだ。伊弉諾は、伊邪那美と決別した後に水神と結ばれ、多くの神々を誕生させたと考えるのが本来では無かったのか。

以前書いたように、京都の宇治とは「兎路」であって、琵琶湖の桜谷で祀られていた水神の信仰が続く道でもあった。それは、伊勢神宮の宇治橋まで続く。そして琵琶湖に近似した島である淡路島の語源は阿波路であると言い、それは阿波の国に通じる道であるというが、その阿波の国の岐の神を祀る一宮を考え合わせると、そこには黄泉の国と阿波岐原の両面が信仰された現世であったのではないかと考えるのだ。
(続く…。)
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