青笹村の猫川の主は猫だそうな。洪水の時に、この川の水が高みに打ち上がって、大変な害をすることがあるのは、元来猫は好んで高あがりをするものであるからといわれている。
「遠野物語拾遺176」

猫川は10㎞ほど西の方へ流れ、早瀬川に合流する小さな川である。上流には砂防ダムによって溜まったダム湖があり、水量はまずまずといったところだろうか。ただ過去には暴れ川の異名を取ったほどで、その影響なのか「遠野物語拾遺176」には、洪水の話が語られている。
しかし
正保四年(1674年)の「新谷御番所文書」には
「左比内川(さひないがわ)」と記されている。この猫川が流れる地域を佐比内と呼ぶ事から、本来は左比内川であり、後に猫川になったのかもしれない。しかし、いつの頃に猫川となったのか定かでは無い為、もしかして以前は猫川であったのが復活した可能性も、また否定できない。
ただ、この地域には猫に関する伝説を発見する事が出来ないでいる。ただ可能性が一番高いのはやはり、鉱山に関する呼び名から猫という名が付けられたのだと考えている。
柳田國男「桃太郎の誕生」に、
「但馬國養父郡に養父水谷大明神があり、この末社について、鈴鹿翁の神社覈録から但馬考を引用して、次のようにある 「末社三座あり、末社のうち山口神社を、俗に狼の宮と称す。麋鹿の田畝を害する時これを祈る。加地屋敷は猫の宮と云ふ。鼠の蠶を害することを防ぐ。」とある。
加地は鍛冶でもあるので、それが猫の宮と呼ばれるのなら、やはの金属系、鉱山系と猫は結びつくのだと思う。実は、有名なネコババという言葉が、やはり製鉄系に関する逸話から来ている。
「ネコ流し」というものがある。「ネコダ」と呼ばれるムシロのようなものをを川や水路に敷いて置き、その上に砂金や砂鉄などが混ざっている泥を流すと、泥だけは流れ、重い金や砂鉄はネコダに付着するというもの。これをネコ流しと呼ぶのが、いつしか省略されて「ネコ」と呼ぶようになったという。このネコを管理するのが大抵老婆であったのだが、佐渡金山などで、そのネコを管理する筈の老婆が金を盗む事がままあった為、いつしか"ネコババ"と呼ばれるようになったという。

では何故「ネコ」という呼称が登場するのかだが、
若尾五雄「黄金と百足」では、糠、奴可など「ヌカ」の付く地名が転訛して「ネコ」になったのではないかと推測している。それだけ、猫と鉱山は結びついているからであると。先程の「ネコ流し」において泥を流すのだが、その泥を「ヌカ」とも呼んだ事から、鉱物を含むモノを「ヌカ」であり「ネコ」と呼んだと考えられるようだが、断定はできないようだ。
だいたい猫が初めて日本に輸入されたのは、仁和元年(885年)唐から輸入された黒猫を宇多天皇が飼ったのが始まりとされているが、それ以前に「日本霊異記」に、死んで猫になった話が紹介されている。しかし「古事記」や「日本書紀」には猫の記述が無い事から、タタラが普及して、かなり時代が過ぎてから猫が日本に登場した事になる。それ故に、日本の古来からの文化であるタタラに、後から登場した猫が何故に結びついたのか、その辺が謎となる。

山伏の使う鉱山用語で「ネ」は「山根、磐の根、鉱脈」を意味する。「ネコ」にあてる漢字には「根古」「根子」などとあるが、動物の猫はネズミを捕るからネコと呼んだ説の他に、いつも寝ているから、寝ている子供と同じだという事で「寝子」とも云われた。鉱脈、鉱物は、土の下で寝ているものであり、「根古」という表記はまさに古くから土の下に寝ているものであり、動物の猫の意味に重なってしまう。化け猫の伝説の中に、風や金属などが含まれるというのは、恐らくタタラと結びついての事だと思う。
そしてだ、猫川の上流には佐比内鉱山が古くから栄えている。つまり猫川という名称はやはり、鉱山と結びついた為に付けられた名だと思う。暴れ川として猫と結びついたのは恐らく、化け猫に対する霊性が付随してのものでは無かっただろうか。
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