要石というのを御存じだろうか?鹿島神宮の境内にある、地震を抑える石の事だ。その要石が存在する地域を調べても、他に香取神宮と、宮城県の鹿島神社にしかない。そして何故か、遠野には13箇所もの要石が存在する。
遠野は七ヶ町村が集まって遠野市となっているが、その要石の分布を見てみると、早池峰神社だけが一か所だけ離れている。そこで思うのは、早池峰神社を中心に要石が広まったのではないか?という事。早池峰神社の後ろに聳える早池峰山は本州最古の地層である蛇紋岩の山となる。蛇紋岩に魅了された宮澤賢治は頻繁に早池峰山に訪れて、蛇紋岩を採集したという。また早池峰山の信仰は、遠野地域だけに留まらず、東北全体にも、その信仰の根強さを伝えている。
早池峰山に祀られる神は瀬織津比咩てはあるが、それとは別に不動明王もまた、だ。早池峰の麓に又一の滝があるが、そこには不動明王もまた祀られている。更に早池峰神社の境内にも不動明王の姿を見る事が出来る。今でこそ考えるに、早池峰山には不動の山では無いのかと思う次第である。先ほどの要石とセットになる信仰も不地震に対するもの。ある不地震の伝承では、天変地異に蠢く日本列島の中で、安全な地を求めて遠野に流れ着いたというものがある。つまり、遠野とは揺るぎ無い地であるという信仰が古代にはあったのかもしれない。それは早池峰を中心として、遠野中に広まっているのはやはり
"揺るぎ無い早池峰山"があってのものだと考えてしまう。
また早池峰山の語源とはなるが、ハヤチは風をも意味する。遠野には飢饉の歴史が根深く残っているが、ヤマセが吹くと、その年は飢饉であるとなっていた。その風を起すのは早池峰山であると信じられていた節がある。古代の神は、現世利益などまったくなく一方的に祟りを成す神であった。だからこそ人々は、山の怒りを鎮める為に、早池峰を畏怖し敬った。しかし去年、秋の収穫の時、放射能問題から、放射能検査が済むまで、米を一般には販売できない事となっていたが、遠野の米には放射能が検出されなかった。一部、寺沢高原という、遠野の西に聳える山で若干の放射能が検出されたのだが、それは盆地という特性もあったのかもしれない。つまり風に吹かれて東北新幹線沿いの平野を北上した放射能は、遠野盆地の入り口でもある西の山に阻まれたのかもしれない。そしてもしくは、早池峰山から吹く風によって、放射能が遠野盆地内に入り込まない様阻んだのかもしれない。そう思ってしまうのは、去年の大地震によっても然程の被害が無く、夏の大雨の被害も、隣の釜石や盛岡などにはあっても、遠野地方には無縁であった。また大雪による被害により、各地では多くの犠牲者を出してはいるが、やはり遠野では皆無。せいぜい寒さが厳しく冬が長い程度だろうか。こうした災害の無さを振り返ってみると、早池峰山という存在が大きく感じてしまう。そう、遠野という町は、早池峰山に守られているのではないのか?と。
ここで思うのは、もっと多くの人が遠野の良さをわかってもらい、移り住んで欲しいものだ。小松左京の「日本沈没」においても、この早池峰周辺は残るという設定だった。実際に地質学上も、かなり安全らしい。