
慈覚太師が掘ったとされる、遠野七観音というものがある。七という数字を考えると、真っ先に浮かぶのは北斗七星の柄杓の形だったが、遠野七観音には、その形はあてはまらず、ずっと考えていた。たまたま、ふと目にした一枚の写真があった。それは、上の画像であるが、これは京都妙見堂の屋根瓦に描かれた、北斗七星の形だった。この形を見て、すぐさま遠野七観音の配列が頭に浮かんだ。

調べてみると、北斗七星という形は、上の画像が示すように、七つの星を模ってさえいれば、かなり自由であったようだ。京都の妙見堂も含め、様々な形の北斗七星があるのがわかった。

そこで、上の画像は遠野七観音が遠野に配列されている分布図だが、これが京都の妙見堂の北斗七星の形に符合する。となればやはり、遠野七観音とは、北斗七星を意識して配列されたものだというのが理解できた。
遠野七観音には別に
「七つの井戸」の伝説がある。現在の遠野七観音を巡っても、その井戸を見る事は出来ないのだが、昔には井戸はあったのかもしれない。ただ北斗七星とは水を意識した星座であるのは確かである為、恐らく水の霊力を意識しての遠野七観音であった可能性は高い
。「日本書紀」には
「神世七代(かみよななよ)で始まる国」であると記されている事から、水に加えて七つの霊力の源である北斗七星が意識されて当然だろう。ましてや、坂上田村麻呂を征夷代将軍に任命した桓武天皇は妙見信仰にはまっていた。そして妙見は天皇が信仰するものであるから、庶民は信仰してはならないという、妙見信仰禁止令を発布したほどだった。
早池峰神社と遠野七観音は、その桓武天皇の蝦夷征伐の成功の後に建立されたと伝えられている。つまり、桓武天皇には妙見信仰に関わるものに加えて、水の霊力を意識した天皇であった可能性が高い。その辺りを、これから調べ、述べてみたいと思う。
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