十年程前に遠野の六日町であったかに、父と娘と二人で住んでいる
者があった。父親の方が死ぬと、その葬式を出した日の晩から毎晩、
死んだ父親かせ娘の処へ出て来て、いっしょにあべあべと言った。
娘は怖ろしがって、親類の者や友達などに来て貰っていたが、それ
でも父親来て責めることは止まなかった。そうしてこれが元で、と
うとう娘は病みついたので、夜になると町内の若者達が部屋の内で
刀を振り回して警戒をした。すると父親は二階裏の張板に取附いて、
娘の方を睨むようにして見ていたが、こんなことが一月ほど続くう
ちに、しまいには来なくなったという。
「遠野物語拾遺167」

昨夜
「世界の恐怖映像」ってのを観てたけど、西洋でも台湾などでも、チラッと映る幽霊らしき姿が、白いネグリジェっぽい服を着て、長い黒髪を前に垂らしている女性の姿って、殆ど貞子じゃねぇか?と思った。
貞子の原型も白装束にザンバラ髪の
「うらめしやぁ〜」という定番型日本的幽霊に似せてのもの。世界の幽霊的基準が、日本になったのかと思ってしまった(^^;
とにかく日本の幽霊の大抵は、未練や恨みから、この世に魂が残るとも云われている。死んだ時には死に装束が白いので、定番な幽霊の姿があるのだけど、番組で登場した女幽霊も何故か殆ど、長い黒髪の白装束には、やはり定番の怖さというものが広がっているのだと感じてしまった。
ところで話は違うが、被災地での幽霊話が多発しているらしい。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20111224-00000000-pseven-soci
上記のようにニュースにもなるくらい、かなり被災地では有名な話のようだ。岩手県の大槌では、コンビニの店員が良く見るとか、警察官もかなり目撃していると地元民から情報をいただいた。また地元の知り合いが、暗くなってから被災地を歩いていたらお爺さんの声で
「今晩は」と声をかけられたので振り向いたら、誰もいなかったという話も耳に聞く。
勝田至「死者たちの中世」を読んでみると、死体に手足が付いた五体満足の状態は化ける話が伝えられているようだ。有名どころでは
「今昔物語」巻二十四第二十話では夫に見捨てられた女が死に、死体となって夫を襲おうとする話が紹介されている。これなどは夫に対する怨念であり未練が、死んで尚死体に残り、その夫を求めて彷徨う話であり、中世日本のゾンビ物語のようである。
これは先に書いた
「遠野物語拾遺152(よみがえり譚)」にも連なる話となるが、土葬で死体が残っていれば魂が宿るとされていたのは確かなようだ。ただ火葬に関しては、一般庶民の間には普及せず、実際に火葬が普及したのは現代になってからだ。遠野でも数年前、恩徳の三浦氏がやはり土葬を希望して、冬の最中に三浦氏の妻を埋葬したのが記憶に新しい。現代では衛生法の問題からも、基本的には火葬にするのが常識となっているが、中世日本の一般的はやはり土葬だった。
ただ貴族などの身分が高い者は、火葬を常としたらしい。藤原氏の一族では
「火葬は功徳であり、土葬は甘心せず。」という言葉が残っている。功徳とは仏教用語としての功徳であろうが、意味は「現世・来世に幸福をもたらすもとになる善行」とある。火葬が何故幸福をもたらす善行なのかという事だが先ほど、手足が全て付いた状態の死体は化けるとの話も広がっているのを踏まえ考えると、身分の高い、もしくは位の高い者の魂は祟るではないかと思う。天皇家とは別に祟る家筋と云われるのは、歴代の天皇家の者が祟ってきたからだ。
以前にも紹介はしたが、中世に天武天皇の墓が暴かれて頭蓋骨が盗まれた事件があったが、高貴な血筋の者や能力者の頭蓋骨は呪術に対して、高い成功率誇ったようだ。つまり祟る血筋の者の死体や、坊主などの宗教的能力者の死体ほど、強い化け方をすると信じられたのではないだろうか。だからこそ、火葬にして死体を残さなかった。それ以外の庶民などがもしも死体となって化けても、位の高い能力者にとって調伏は容易いと思われたのかもしれない。伝説とはなった事実として、魔王となった崇徳上皇を誰か調伏できたというのだろうか?
ところで肉体は無くなったものの、骨はしっかり残っている状態をどう捉えて良いものだろう。実は…また熊野だが、こういう話が伝わる。
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今から一千年以上昔、鹿ヶ瀬峠でのことです。生涯で六万部の法華経を読む
修行をしていた比叡山の僧、円善上人は、熊野三山への途中で病に倒れ亡く
なりました。それから百年ほどしたある日のこと、この地を壱叡という僧が
通りかかります。峠で野宿した壱叡は深夜、法華経を読む声で目が覚めまし
た。翌日、不思議に思って宿のまわりを歩いてみると、大きな木の下に苔む
した髑髏があるではありませんか。しかも赤い舌だけを動かしてお経を発し
ているのです。
それは志半ばでこの地において行き倒れた円善上人でした。死んでなお修行
を全うしようとする僧の姿に深く胸を打たれた壱叡は、心を残しつつも熊野
三山への歩を進め、帰路にここに立ち寄った時にはもうすでに六万部のお経
を読み終えたのか、髑髏の読経は止んでいました。壱叡は円善上人をしのん
でここに供養塔(法華の壇)を建て、冥福を祈ったのでした。
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この話は
「法華験記」という書物に記されているのだが、そのお経を唱えた髑髏の状態を
「死骸の骨あり。身体全く連なりて、更に分散せず。」と記されている。つまり火葬にされた死体は焼き尽くされ、その炎の勢いで骨も分散してしまうのだが、自然に肉だけが削げ落ちた死体は、五体が連なった状態であり「化ける能力」を発揮できる状態であるのだろう。
ここで再び被災地の幽霊話になって申し訳ないが、未だ津波に呑まれて行方不明となっている数多くの人達がいる。死体が発見されるたび、きちんと火葬場で焼かれて、その亡骸は供養されている。しかし未だ発見されていない人々の死体は、既に白骨化しているだろう。
幽霊は存在するかしないかはさて置いて、古来から伝えられている事例や伝承に重ね合わせると、今現在目撃されている幽霊というものは、未だ発見されず、供養されていない人々の魂という事だろう。つまり被災地から幽霊話が無くなるという事は、全ての死体が発見され供養される事に繋がるのだろう。
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