蝋燭の火の芯に青い焔が無い時には、火災変事などが起るといわれている。
先年遠野町の大火の時も、火元に近い某家の夫人が、その朝に限って神棚の
御燈明に青い焔の見えないのを、不思議なこともあるものだと思っていたが、
間もなく近所から出火してあの大事になった。
「遠野物語拾遺147」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今の時代とは違い、昔は
「ゲン担ぎ」「縁起担ぎ」という習俗が、かなり広まっていた。日常と違う場合に対して、ある意味恐怖を感じていたのだろう。現代となると、スポーツ関係者に、やはり似たような「ゲンを担ぐ」習俗が続いているようだ。
例えば、御飯茶碗は左で、味噌汁椀は右と。それが逆になれば、死人を意味するとなるが、現代では左右を気にしないで食べる人も、意外に多くなっているよう。
この「遠野物語拾遺147」も日常と違う現象は、不吉を呼ぶという意識が働いた為だろう。火災が起きたのは、たまたまと言えるし、昔はすぐに火災が起きたので、そういう偶然が重なると、その時代の"都市伝説"というものが生れる可能性はあった。
蝋燭の火は、人の命を左右するとも云われる。確か「死神」という話には、多くの人々の命を左右する蝋燭の焔が揺れており、その火が消えると、その人物は死んでしまうというものがあった。
またお盆には迎え火を焚いて、死者の霊魂を呼ぶ目安としたり、また火によって財産を失ったり、肉体をも焼き尽くしてしまう。つまり火は、生死に関わる存在であるのがわかる。
ただ神社仏閣で蝋燭を灯すというのは、その場を清めるという意味がある。例えば不動明王の名が書かれた紙を燃やして、その灰を水に落として飲むと病気が治るという迷信は、不動明王の背後に燃える炎が、悪しきものを焼き尽くすと考えられていたからだ。つまり、悪しき不浄なものを焼き尽くす炎は、その場を浄化するという意味合いを持っていた。だから、その焔の色合いが通常とは違うというのは、やはり不安になるのだろう。
となれば「遠野物語拾遺147」において青い焔が見えないというのは、単にゲン担ぎというだけではなく、通常の浄化の焔では無いと思われた為に、不吉と考えた可能性はある。
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