遠野の六日町に宇助河童という男がいた。川仕事が人並みはずれて達者な
所から、河童という綽名をつけられたのである。ある夏の夜、愛宕下の夜
釣りに行くと大量であった。暑気が烈しいからせっかく取った魚を腐らせ
てはならぬと思って、傍に焚火をして魚を炙りながら糸を垂れていた。
すると不意に川の中に、蛇の目傘をさしたいい女が現れた。宇助はこれを
見てあざ笑って、何か狐のやつ、お前等ごときに騙されるもんかと言って
石を投げつけると、女の姿は消え失せる。
それから間も無く川原に男が現われて、叢でさくさくと草刈りを始める。
またかと言って宇助が石を投げると、これもそのまま消えてしまった。あ
あいい気味だと独で笑っていると、はるか川向うの角鼻という処の下がぼ
うと明るくなって、あまたの提灯がぞろりと並んで往ったり来たりした。
あれや、今度はあんな方へ行って、あんな馬鹿真似をしている。だが珍し
いものだ、あれこそ狐の嫁取りというものだろうと感心して見ていたが、
ふと気がついてああそうだと焚火の魚を見ると、はや皆取られてしまって
一つも無かった。おれもとうとう三度目に騙されたと、その後よく人に語
ったそうな。
「遠野物語拾遺195」
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画像は、上空から見た角鼻で、鼻のように出っ張っている地形となっている。
この「遠野物語拾遺195」の時代は明らかではないが、この角鼻に夜間、提灯が灯されていた時期があった。奥州藤原氏が滅ぼされた後に、栃木県から阿曽沼氏が遠野を統治したのだが、その家臣である宇夫方広久の子である清左衛門広道が寛永の初めに遠野の南部氏に仕えて下郷代官となり、綾織に住み着いたと。その当時の綾織は開墾が進まず角鼻に堰を設けたのは、正保年間の事であったそうな。
角鼻に堰を通すのに、いろいろな状況を加味し、夜間に提灯の灯りを手にした人物がある地点に立って、高低などを測定しながら、角鼻の地形に穴を開けて堰を通す工事を行ったという。
今でも猿ヶ石川沿いには狐の巣穴があり、猿ヶ石川沿いを狐が歩いている場面に遭遇する時がままある。さらに昔は、狐が数多くいたようで、町外れには化け狐の話が数多く語られてきた。つまり、それだけひと気の無い場所には狐が多く出没すると信じられてきたのだ。
そんな時代、夜間にひと気の無い場所に提灯の明りが灯るというのは不思議な事であったろうと想像する。「遠野物語拾遺195」の主人公でもある宇助の話は、そのまま信じるわけにはいかないが、夜間に蛇の目傘をさした、いい女が現われたというのも、角鼻堰の工事は延々と続けられた夜間工事であったようで、工事の身内の者が夜食を届けにいっても不思議では無かった筈。
また男が現われて、叢で草を刈るとか、人の居ない筈の場所に提灯の明りが灯るのも全て、角鼻堰工事の流れでは無かったのかと想像する。恐らく、狐がでるという先入観から、全ての事が狐に思えてのものだったろう。ただ、焚火に炙っていた魚が無くなったのは、よくはわからないが(^^;
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