
天保十四年、遠野の猿ヶ石川の氾濫の防御の為に、水神の碑が祀られ建てられた。またその時に松が沢山植えられた為に、愛宕神社の麓である猿ヶ石川沿いは松原と今でも呼ばれている。その松原の地である愛宕橋の入り口脇に、画像の水神の碑が建てられているのだが、何故に「水波能売命」を祀ったかというのも、元々この倉堀神社に「水波能売命」が祀られていたのに呼応した為であったようだ。
また小烏瀬川にも大蛇退治の伝説が伝わっており、退治した大蛇の頭は石化し、その尻尾は大樽の地に祀られたが、そこにも水波能売命が祀られている。氾濫する暴れ川が竜蛇神に見立てられてのものであったのだろう。

この水神の碑を建てた四戸長作は、機転の利く人物であったようで、土木作業をしている時に、夥しい石に辟易し人夫を使って片付けようにも、怠惰な人夫はなかなか動こうとしない。ある場所に大きな窪地があったので、そこに木を一本立てて、餅などを懸賞として人夫を競い合わせて、忽ちに石を窪地に埋め込んで片付けたとの逸話が伝わる。
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