生れ変わるということもたびたびあることだという。先年上郷村の
某家に生まれた児は、久しい間手を握ったまま開かなかった。家人
が強いて開かせて見ると北上の田尻の太郎爺の生れ変わりだという
意味を書いた紙片を堅く握っていた。このことを太郎爺の家族の者
が聞くと、俺の家の爺様どんは、死んでから一年も経たずに生れ変
ったじと言って、喜んだということである。また墓場の土に柳やそ
の他の樹木が自然に生えることがあると、その墓の主はもうどこか
で生れ変ったのだといわれる。
「遠野物語拾遺245」
昭和の中頃、某女性が列車に飛び込んで自殺を図ったという。ところが
バラバラになった死体を回収しても、小指だけがどうしても見つからな
かったそうであった。
それから暫く経ち、自殺した女性の姪御さんが出産したそうな。ところ
がその赤ん坊に、小指が無かったそうである。自殺というものは業が重
いもので、その重い業が姪御さんを通じ赤ん坊に伝わったものだ…と言
われている。
「現代遠野物語31」より
上記の話は、実際にあった出来事で、これも「遠野物語拾遺245」と同じく、生まれ変わりと捉えて良いものだろうか。つまり生まれ変わりがあるのならば、良い事も悪い事も、へだてなく伝えるという事だろう。もろ手を挙げて、喜べる事ばかりではない。

遠野の習俗に、葬式の時に墓地で転ぶと死ぬというものがある。これは、墓地は穢れた地であり、魂を吸い取られるという思いから発したものかもしれない。
地面に穴が空いている場所は霊界と繋がっているという迷信は、広く日本に広がり、井戸とかトイレは霊界の入り口であると認識されていた。だからこそ、トイレや井戸には幽霊の話が多いのは、その為だった。これは洞窟もまた同じで「古事記」において、イザナギが死んだイザナミを迎えに行く為に、やはり洞窟を潜っていった。
>また墓場の土に柳やその他の樹木が自然に生えることがあると
柳の木が記されているが、柳といっても枝垂れ柳や、枝垂桜など、枝垂れ系の樹木もまた、霊界と繋がっていると信じられていた。天から降ってくる霊は、枝垂れ柳などの枝を伝って地面に潜り霊界へと向かう。また逆に、霊界から枝垂れ柳の枝を伝って、天に昇ると思われていた。
遠野での戦時中に、面白い話があった。遠野の隣である釜石は、新日鉄釜石が日本軍の武器の製造をしていた。その為に、アメリカ艦隊からの艦砲射撃を食らい、釜石の町は壊滅状態となった。そのアメリカ艦隊の艦砲射撃の音は、山を越えて遠野まで伝わり、遠野の人達も怯えていたという。そんな中、たまに遠野上空をアメリカ軍の偵察機が飛ぶたび、デマが飛び交った。
「次は、遠野が攻撃されるぞ!」
そしてその後、偵察機が飛ぶたびに、遠野の人々は家の畳を外して、外に隠し、自分たちは枝垂れ柳や枝垂桜などの枝垂れ系の樹木の下に隠れたという。その理由は、やはり枝垂れ系樹木は霊界と繋がっているので上空から見てもわからないから!という事だったらしい。
ちなみに畳を外して隠したのは、家が壊されても畳さえあれば、寝泊りなど、どうにか生活が出来るからだったという。今の時代となれば、笑い話となる逸話であった(^^;
わたしはあの蛇の棲む洞窟
わたしの臍から男達の宿命が生れ
すべての知恵が大地の一つの穴から生れる
神の姿がわたしの闇の中にあらわれまた消える
わたしの盲目の子宮からすべての王国があらわれ
わたしの墓から七人の睡り人が予言する
これから生れる嬰児でわたしの夢にあらわれるものはなく
わたしの中に葬られぬ恋人とてもない
わたしはあの怖れ求められる炎の場所
そこで男と不死鳥が焼きつくされ
わたしの低い穢された寝床から
新しい息子 新しい太陽 新しい空が立ちあがる
キャスリン・レイン詩集「巫女」

地面に穴が開いている場所の大抵は、霊界との入り口であるのだが、女性の子宮もまた霊界と信じられてきた。洞窟も、火山の火口口、もしくはタタラの溶鉱炉もまたホトと呼ばれたのは、まさしく何かが生まれる霊界の入り口だからだ。キャスリン・レインの「巫女」は、まさにそのホトによる女性による死と生を司る王国である事を示している。
狭い胎内を潜るように、狭い岩穴などの洞窟を潜り、新たな命、もしくは若返るなどという風習が各地に根付いているのはまさに女性の子宮を潜る行為を実践している。 遠野にも、山中の狭い岩穴に「胎内潜り」としての風習が、あちこちにある。
生まれ変わるとは、一度胎内を通った肉体が、再び胎内を巡るという事。つまり魂の輪廻でありながら、全ては女性の肉体無しでは魂の再生は無いのだ。ホトを焼かれて死んだイザナミは、黄泉の国ら通じる穴を潜ったのだが、生きている時の美しい姿とは別の、死んで腐った醜い姿が、洞の中、闇の中にあった。つまり、これも一種の変身であり、再生に至る破壊と再構築なのだろうと思う。つまり腐れ果てた肉体は醜いのではなく、蝶の蛹のように再び美しく生まれ変わる、仮の姿なのかもしれない。つまり生まれ変わるという事は、一度死んで腐り果て、醜い姿となる過程を否定してはいけないという事なのだろう。
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