江戸幕府第5代将軍徳川綱吉は、貞享4年(1687年)殺生を禁止する法令
「生類憐みの令」を制定した。この「生類憐みの令」は
「天下の悪法」として世に広まったが、その84年後の明和八年(1771年)六月二三日に
南部藩から飼い犬禁止令が発布されたという。それも当時の藩主の妾が犬を嫌いだという理由でだ…。この禁止令から酷い事に、隣である伊達藩に、飼われていた飼い犬をまとめて、数百匹を放したという。現代で言えば、不法投棄?しかしそこは犬…半分以上、自力で我が家に帰って来たそうな(^^;
昭和62年(1987年)に連載された
漫画「動物のお医者さん」が流行ってからというものシベリアンハスキーが全国に流行し、当然の事ながら遠野でもシベリアンハスキーを飼う人が増えたという。しかし飼ってみると
”思っていたより頭が悪い”という事もあった為か、シベリアンハスキーを捨てる人間が、全国でもかなりいたという。その為か、遠野の赤羽峠という遠野の市民スキー場のある地に、シベリアンハスキーが群れを成していたというのは、平成初期の頃だった。
明和八年に「飼い犬禁止令」が発布されて、伊達藩に捨てられた犬たちは、自力で我が家に帰ったのだが、何故かこのシベリアンハスキーは、我が家に帰らずに群れを成していたというのは…頭が悪いのか、それとも飼い主の愛情を感じないまま捨てられた為なのか?
しかし調べてみるとシベリアンハスキーの性質は、その社会性のある特性から孤立した状態に長時間置かれると、狼などと同様に仲間に呼びかけようと遠吠えする傾向がある。つまり、明和八年に伊達藩に放された犬達はどちらかといえば、飼い犬らしく主人と、その家を慕って遠路はるばる戻ったのであろうが、シベリアンハスキーは人に頼らない自立心があり、同族で集まるという狼に似た傾向の犬種であったのだろう。
画像は犬とは正反対の、猫画像で申し訳ない(^^;