旗屋の縫が宮城の七つ森の影響を受けているのはわかったが、その宮城の七つ森の殆どに倉という名前が付いている。
笹倉山
松倉山
撫倉山
大倉山
蜂倉山
鎌倉山
遂倉山
上記の七つが七つ森の全てで、主峰は笹倉山となる。山頂にはそれぞれ薬師如来が祀られてある。実は薬師如来は妙見菩薩でもある。ところで何故「倉」という文字が全ての森に付いているのだが、倉(クラ)とは縄文時代に影の事を「クラ」と呼んでいたようだ。
「カム」は「被う」や「冠る」の意で「カマ」は「被われた」という意になる。つまり秋田県などで有名なカマクラは「被われた影」の意となる。ただ別に「クラ」には「磐座(イワクラ)」「桜(サクラ)」などがある。磐座やー桜の「クラ」には、神が降臨する意もある事から、倉には神が降り立つ意味も含んでいるものと考える。
七つといえば、真っ先に思い出すのは北斗七星だ。日本の古来は整数として「八」の数字が沢山出てくるが、「七」となれば北斗七星が代表格だろう。ところで先に記したように、薬師如来は妙見菩薩でもあった事を考え合わせると、七つ森とはつまり、妙見信仰からきているのだと考えられる。各々七つの星が倉という名の付く山に降り立って、七つ森を形成するというのはやはり、妙見信仰が根底にあるものだと思う。これから察すれば、宮城の七つ森の各山々に倉という名が付いているのは
「北斗七星の各星々が降り立つ」という意味があるように思える。
日本国で思い出すのは、八という数字だ。末広がりとしての八という数字は、八百万の神と云われる日本の神話に多く登場するが、どちらかというとスサノヲの周辺に多い気がする。しかし
「日本書紀」では「神世七代で始まる国…。」という記述があり、七という数字も負けてはいない。
ただ七という数字はやはり、北斗七星であり、七夕が古いのだろう。七福神や七観音の信仰などは、比較的新しい。ところが北斗七星は7世紀の高松塚古墳に描かれているように、かなり古くから信仰されているのがわかる。
七夕の古い風習などは七尽くしであり、七本の蝋燭を立て、七種の食べ物を供え、七遊(歌・鞠・碁・花札・貝合せ・弓・香)を楽しんで、七度風呂に入って、七度食事をする。
また石上神宮に七つの突起を持った七支刀も、北斗七星との関連が指摘される。つまり古くからの七という数字には、北斗七星…所謂"
妙見信仰"が根底にあるのだと考える。となれば遠、野の七つ森の根底にもやはり妙見信仰があり、日出姫の夢枕に御告げがあり
「七つの森に囲まれて暮せ。」というものはつまり、妙見を深く信仰せよという意味になるのだと考える。それ故に日出神社の向きは、妙見と関わる早池峰山方面を向き建立されたのではなかろうか。