「宗像シンポジウム(古代海人族の謎)」を読んでいると、
谷川健一が「ツツ」について言及している。福岡県糸島郡に雷神を祀る雷山があり、その麓を「筒城(ツツキ)」という地があるという。また壱岐に筒城(ツツキ)という大字があって、海神社が祀られていると。紀州にも筒香(ツツカ)という地があり丹生神が祀られているが伝承に登場するのは宗像の神だという。谷川健一は「ツツ」の付く地名と海、または星に関するものは関係が深いと説いている。
ところで岩手県住田町に津付(ツツキorツヅキ)という地があり、画像の庚申の碑がある。この庚申碑は篆書で書かれており、それを顔のようにあしらったものだ。年代は寛永元年とあるから、比較的新しい?ものだと思う。まあこの津付には、他にも庚申碑はあるのだが、庚申とは星の信仰とも繋がっている。
この住田町の津付とは「ツツキ」と「ツヅキ」と発音が濁る場合があるのは、土地の人の発音によって変化したものが続いていると考えて良いだろう。となれば、遠野の「続き石」も本来「ツツキイシ」と読んだ可能性も否定できない。「ツツ」が星や海を表すのならば、遠野の続き石もまた、その可能性はあるのだろう。
以前、紹介した事があったが室町時代に成立した
「日本書紀纂疏」にはこう書かれている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
然らば則ち石の星たるは何ぞや。曰く、春秋に曰く、星隕ちて石と
為ると「史記(天官書)」に曰く、星は金の散気なり、その本を人と
曰うと、孟康曰く、星は石なりと。金石相生ず。人と星と相応ず、
春秋説題辞に曰く、星の言たる精なり。陽の栄えなり。陽を日と為
す。日分かれて星となる。
故に其の字日生を星と為すなりと。諸説を案ずるに星の石たること
明らけし。また十握剣を以てカグツチを斬るは是れ金の散気なり。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここで気になるのは、続き石を背にして東南の方向に、山口愛宕神社が鎮座している。この愛宕神社から足を延ばせば、すぐに続石へと着いてしまう程に近い。この愛宕神社の背後には以前滝が流れており、瀬織津比咩が祀られていた。現在はカグツチという事になっている。ところがこの愛宕は普通「アタゴ」と読むのだが、山城国…今で言う京都辺りだが「愛宕郡」という地があり、これを「アタゴグン」とは読まずに「"
オタキ"グン」と読まれていた。そうつまり「愛宕」とは「滝」をも意味していたようだ。ならば当然、愛宕神社に滝神でもある瀬織津比咩が祀られていてもおかしくはないだろう。
ところで「ツツ」には、筒・星などいろいろ漢字をあてるが、津々浦々のように津々でさえ「ツツ」と読む。「津気」というのは「霊気」という意味でもあり「津(ツ)」には「霊的」なものの意味をも有する。
最初に、筒城、筒香などの地名を紹介したが、筒城には雷神が祀られており、雷神は蛇だともされる。これは「日本書紀・雄略記」に、小子部蜾贏という連が、雷である三諸岳大物主の神を捕らえにやらされたが、その神の目は赤カガチのように輝く大蛇であったように、雷神とは恐らく蛇。
また筒香には神功皇后の伝説があり、三韓征伐へ行く時にミヌメノカミが教えられた話があるが、ミヌメノカミとは水沼君であって、要は宗像の神の事。宗像族は胸に入れ墨を入れていたという。その入れ墨は三角形であって、その三角形とは蛇の鱗を意味しているという。宗像の神は、蛇の鱗を入れ墨する事で、神から守られる…というより、神そのものになると考えた方がいいのだろう。つまり宗像の神とは蛇神であり、竜神でもあるのだろう。
つまり「ツツ」という言葉のある地には、竜蛇の意味を関連付けられているようだ。となれば続石もまた、竜蛇を意味するのかもしれない。そしてそれを確信させるのは、側にある瀬織津比咩が祀られる愛宕神社だ…。