菊池弥之助と云ふ老人は若き頃駄賃を業とせり。笛の名人にて夜通しに馬を追ひて行く時などは、よく笛を吹きながら行きたり。ある薄月夜に、あまたの仲間の者と共に浜へ越ゆる境木峠を行くとて、又笛を取出して吹きすさみつゝ大谷地と云ふ所の上を過ぎたり。大谷地は深き谷にて白樺の林しげく、其下は葦など生じ湿りたる沢なり。此時谷より何者か高き声にて面白いぞーと呼ばる者あり。一同悉く色を失ひ遁げ走りたりと云へり。
「遠野物語9」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
夜の山は恐ろしいという認識の元に歩いていると、どんな音にも敏感になり、あっという間に恐怖は襲いかかって来る
。「一同悉く色を失ひ遁げ走りたりと云へり。」という記述は、その全てを物語っているかのよう。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」というのは、何にでも言えるのもので、気持ちが動揺し、落ち着いて眼の前のモノを認識できない。これはよく犯罪を目の当たりにして、その犯人のモンタージュを作成する時、人によって供述がバラバラなのは皆、同じ心境で犯人の犯行を目撃したものでは無いのだと考えられる。
また集団の心理として「一同悉く色を失ひ遁げ走りたりと云へり。」というものは、自分も子供の頃に経験がある。恐怖心を抱いたまま皆で夜道を歩いていると、その中の一人が…例えば風に揺れてガサッと音を出した木々に相対した瞬間、怖さに耐えきれなくなって「わぁ~」と叫ぶ。そうすると堰を切ったように皆が一斉に「わぁ~」と逃げ出してしまう…と同じであろう、所謂集団心理、共同幻想に陥った為であろう。
とにかくこの「遠野物語9」は、自分たち以外にこんな時間に、こんな場所を歩いている筈が無いだろうという意識下からの怪奇譚みたいなもの。今でも遠野では、例えばマツタケを採る場合、人に見つからない様、夜に採りに行く人が意外にいる。また禁止されている川での夜突きも一度見た事がある。夜の沢にボゥと明りが灯っている様は、場合によっては人に対し恐怖を与えるもの。人の脳裏に『こんな夜に、何をしていのだろう?』という疑問は、夜の闇と相まって恐怖に変換される。
「遠野物語9」では「薄月夜」とあるが、これは三日月や新月ではなく、恐らく満月に近いもので、雲が薄っすらとかかっている状況だと思われる。画像の様に満月の夜は明るく、夜道を歩くにも明りを必要としない 。薄月夜であっても、ある程度は歩けるもの。こういう月の明るい夜には先に書いた、山での山菜やキノコ採りをしているか、山の沢での漁をしているものと思ってしまう。
「面白いぞー!」 という叫び声は沢山、山菜&キノコがあったか、もしくは夜の沢での漁で沢山捕れ「面白いぞー!」と仲間に叫んでいるのではないだろうか(笑)(^^;