遠野には、多くの刑場跡がある。阿曽沼、南部の両時代にまたがる長い間に刑場はあった。その一つに来内にある処刑場は、
ケッコロガシ沢と呼び、罪人を崖の上に立たせ、後ろから蹴り転がしたという。
現在は来内ダムとして、水源が確保されている場所となっている。対岸に見える石垣は、阿曽沼、南部時代の名残だろうか?
ケッコロガシ沢で奇跡的に助かったのならば、罪を許し蕨峠から伊達領へと追放したという。
アイヌ語で、来(ライ)は死。内(ナイ)は谷を意味するという。つまりここは
”死の谷”として昔から存在した。実際、この地には多くの自殺者が後をたたない。