崇徳上皇は生きながら「天狗になる。」と言った人物だ。そういや後白河法皇は、源頼朝に「日本第一の大天狗」と言わしめた存在だった。
ところでだ…「鬼になる!」と言った天皇はいない筈だ。「天狗(アマツキツネ)」と呼ばれたのが「天狗」でもあるし、確かに天狗には「天」という字が「天皇」と被っている。つまり天上界にいる存在が、天狗であり天皇なのだろう。
ところが鬼はというと、例えば地獄にはうようよ鬼がいる。どちらかというと、地下の住民みたいな存在だ。日本神話的に分け隔ててしまえば、妖怪世界的に高天原に住むのは天狗で、黄泉の国に住むのは鬼となる。だからなのか、天皇で「鬼になる!」と言った人物はいないのだろう。天皇が外道や妖怪、物の怪となったとしても、自らを地に落とすというのはプライドが許さないのだろう。だから「鬼」ではなくて「天狗」になると言うのだと思う。
まあ昔は、山で修行をしている山伏等を称して天狗と言った場合もあるのは、山=天上界というイメーシもあったのだろう。しかしその山=天上界で過ごしていた山伏や坊さんが下界に降りて鬼になった話は「今昔物語」でも紹介されているので、本当の意味では山伏も坊さんも天狗にはなれないのだろう。地上界?では、例えば極悪非道な人間を称して「鬼!」と言ったり「鬼婆!」と言ったりするする。
稀な例として、遠野の善明寺に「天狗の牙」なるものが奉納されており、家族を失った男が天に向かって怒りを爆発させたところ天狗になったというが、本当は「鬼」ではなかったのだろうか?時代が立つと、天狗も鬼も全て物の怪の類に属するので、どちらも似たようなものになってしまっていた。また「天狗の牙」というものも、天狗に牙なぞあったか?という意識にかられるので、本来は「鬼の牙」であったものが、何故か天狗にすり替わったものだと思う。
とにかく「天狗になる」という言葉、もしくは「天狗の鼻をへし折る」という言葉は、あくまで勘違いをして偉ぶってしまった一般庶民への言葉であり、本当の意味では天狗になれないのがわかる。この時点で思ってしまう…一般庶民は、いつまで経っても「天狗」にはなれないのだと。結局、黄泉の国であり地下の国を這いずり回る?鬼という物の怪の存在にしかなれないのが自分達だ(^^;