会下という珍しい姓の家は、中世積善寺ゆかりの家である。この付近一帯は、
中世にあったその寺の境内で修行僧の学寮があった為に起きた地名である。
寺では、学寮を会下と云う。
天正年中(1573-1591)鍋倉城址の南側後の九重沢に古寺院があったが
豊臣秀吉時代、寺の本末改めのとき本寺が無く、一説にはキリシタン信仰寺であ
るとのことで取り壊わされたと伝えられている。現在ある十王様は、その寺の参
道に入り口にあった十王様の仏像であると云われている。
* 十王とは、冥界における十人の裁判官で、亡者の生前の行為の善悪罪障を審
判して来世の禍福を決定するという。
遠野町会下にある十王堂で、古ぼけた仏像を子供達が馬にして遊んでいるのを、
近所の者が神仏を粗末にするなと言って叱りとばして堂内に納めた。するとこの
男は、その晩から熱を出して病んだ。そうして十王様が枕神に立って、せっかく
自分が子供らと面白く遊んでいたのに、なまじ気の利くふりをして咎めだてをす
るのが気に食わぬと、お叱りになった。巫女を頼んで、これから気をつけますと
いう約束で許されたという事である。 「遠野物語拾遺53話」
会下の十王様の別当の家で、ある年の田植え時に、家内中の者が熱病に
かかって働く事のできる者が一人もいなかった。それでこの田んぼだけは、
いつまでも植え付けができず黒いままであった。
隣家の者、困った事だと思って、ある朝別当様の田を見まわりに行ってみる
と、誰がいつの間に植えたのか、生き生きと一面に苗が植え込んであった。
驚いて引き返してみたが、別当の家では田んぼどころではなく、皆枕を並べ
て苦しんでいた。怪しがって十王堂中を覗いてみたら、堂内に幾つもある仏像
が皆、泥まみれになっていたという事である。
「遠野物語拾遺68話」
中央に閻魔大王を配し、素朴で不気味な木の人形が並んでいるのは…不気味で(^^;
男鬼像
女鬼像
この像は↑葬頭河婆(そうづかばあ)という妖怪婆さんだ(^^;
実は葬頭河婆には他の呼び名もあり、奪衣婆・脱衣婆とか懸衣嫗(けんえう)
葬頭河婆(しょうづかのばば)三途河婆(そうずがわばあ)や奪衣鬼とか奪衣な
どとも呼ぶそうだ。要は…鬼婆だけど(笑)(^^;
三途の川のほとりにある衣領樹(えりょうじゅ)の下にいて、亡者の衣類を剥ぎ
取って、樹上の懸衣翁(けんえおう)に渡すという老女の鬼婆だ。 懸衣翁は
その衣類を衣領樹にかけ、衣類の重さというか、枝のしなり具合で罪の軽重を
定めるという。
中国で成立した偽経である十王経などで、奪衣婆が述べられているが、偽経は
本当の仏典ではないと非難されている。しかしそれが日本に伝わり民間信仰と
習合して、道祖神の姥神として祀られている…鬼婆だ(^^;
役行者像(役小角像)
能除太子像(蜂子皇子像)
この家では、昭和の初めに精神に異常をきたす者がいて、大変困っていたそう
である。イタコに理由を問うたら、以前の先祖が六部を殺してこの家の下に埋ま
っている。その祟りによっての事だから、掘り起こして供養しなければならない
と言われたそうだ。しかし家を壊すわけにもいかないので、暫く放つておいたの
だというが…。
その数年後、その話も忘れ去られた時、新築工事で家が壊された時に大騒ぎに
なったという。なんと、土台の下から頭蓋骨が三つでてきたのだと…。
頭蓋骨の部分に、鈍器で殴られたかのような穴が開いていたという。精神に異常
をきたしたのは3人で、穴の開いた頭蓋骨もまた3つ。この骨は柳元寺に葬られ
供養されたという…。