
「ワンピース」全60巻(以降続刊)を一気読みして、頭モヤァとしてます…。ところで「ワンピース」に出て来る主人公のルフィのセリフ「海賊王に、俺はなる!」と、男が「俺」というのは、どこか男らしい言葉、勇ましい言葉に感じるし、感じていた。ところがだ…よく遠野の病院など、人だかりの中で耳を澄ますと女性の口から「俺よぉ。」という言葉が聞こえてくる。自分の同年代から、かなり下の年代…でも女性の口から「僕」とか「俺」という言葉を聞くのは意図的・意識的であって、自己表現かな?と思っていた。そんな中、樋口清之「日本風俗の謎」を読んでいて意外な事が書かれているのを発見した。
「俺」の語源を調べると「己(おのれ)」が略されたのか転訛したのか「おれ」になったという説があり、まあそうだろうとは感じる。ただそれが男が発する言葉なのか、女が発する言葉なのかは定かでは無い。ところが井原西鶴の文学に登場する女性は全て自分の事を「おれ」と言っているそうだ。これまた別説に一人称代名詞「あれ」が変音したもので、元々が女言葉であるという。この「日本風俗の謎」には詳細が記されていないのだが現在でも東北の方へ行くと、女性が自分の事を「おれ」といっており江戸時代の名残りであるそうだが、何故に東北に井原西鶴から広まった江戸言葉が伝わり定着したのか書かれていない。
現在の標準語も東京から広まりをみせ、東北は「ズーズー弁」であるといいながら、標準語に近い発音をする人達も増えているのは、テレビやラジオの影響があるのだろう。しかし江戸時代に井原西鶴から流行ったであろう言葉が、どのようにして東北に広まったのかは理解できないのだ。今でも東北に住む若い人たちは、東京に憧れを持つ。江戸時代も「花のお江戸」という言葉が伝わっているように、江戸には田舎に無い華やかな文化が広まっており、それに憧れる人達もいたのだろう。当然のことながら女性が「俺」という言葉を発していたならば、それが江戸の女性の流行だと認識すれば田舎も真似するようになるのは、現代でも同じだ。しかし現代ではメディアの発達によって、あっという間に広まるのだが、江戸時代であれば、せいぜい「風の噂」として広まる程度で、東北全体に広まるとしたら、100年はかかるのではなかろうか?
井原西鶴は17世紀の人間だが、女性に「俺」という言葉が時間をかけてゆっくり東北に定着したのが18世紀だとしても、何等不思議が無いのだろう。井原西鶴の残した軌跡は、文学という名の元に消える事無く語り継がれたのだろうと予測できる。しかしそれが現代でも井原西鶴が伝えた「俺」という女性言葉を遠野の女性が使っているというのは、あまりにも流行遅れでは無かろうか?いやそれが流行遅れと知るのにも、かなりの世紀が必要となるのだろう(^^;