最近、宮守村の道者達が附馬牛口から、早池峯山をかけた時のことである。
頂上の竜ケ馬場で、風袋を背負った六、七人の男が、山頂を南から北の方
へ通り過ぎるのを見た。何でもむやみと大きな風袋と人の姿とであったそ
うな。同じ道者達がその戻りで日が暮れて、道に踏み迷って困っていると、
一つの光り物が一行の前方を飛んで道を照らし、その明りでカラノ坊とい
う辺まで降りることが出来た。そのうちに月が上がって路が明るくなると、
その光り物はいつの間にか消えてしまったということである。
「遠野物語拾遺166」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あたかも実話のように語られている有り得ない不可思議な話ではあるが、これは多くの示唆に富んでいる物語ではなかろうか。この話の舞台となっている竜ヶ馬場は、岩山である早池峯の頂手前で、鮮やかな緑が映えている地でもある。その為に馬場という馬が駆ける意味合いの名前が付けられているのは、早池峯七不思議として安倍貞任の騎馬の軍勢の音が聞こえるなどの伝承からであろうか。しかし馬場というには傾斜はきつく、見た目は平坦に思わせるからこそ、登っていて『なんでこんなにきついんだ?』と傾斜の錯覚に陥る場所でもある。
ところで早池峯は、白山に擬えたものであるようだ。この竜ヶ馬場の入り口にある「御金蔵」もそうだが、早池峯の稜線沿いに聳える「剣ヶ峰」もまた白山に連なる山の名前である。しかしこの白山信仰だけでなく、早池峯の名前には「風」を意識してのものであり、早池峯に関する伝承から感じるのはどうも、弥彦の影響があるようだ。

例えば
「早池峯と火葬の話」で紹介したように、この話はまるで弥彦のヤサブロバサの伝説だ。早池峯がハヤチと風を意味する名を有しており、その他にも風に関する信仰や伝承があるのは、早池峯を中心とするタタラ文化があったせいでもある。とにかく風を伴う伝承の場合はタタラに結び付くのだが、弥彦神社を調べてみると気になる個所がある。
天香語山命が弥彦神とされているようだが、神武4年大和から越路平定にやってきた天香語山命は、この地域を支配していた安麻背に対し姦計を用いて支配したという。その天香語山命の越路において残した功績とは「
操船・製塩・稲作・畑作・果樹栽培・酒造り」などであるという。ここで気付くのは採掘、製鉄などが含まれていない事だ。
畑井弘「物部氏の伝承」では、天香語山命の「香」とは「銅」を意味するという。つまり大和三山の天香具山でも銅が産出し、有名な九州の香春山も銅の採掘で有名であった。つまり「香」を名に付けるというものは「金」に関係する名前であるというのがわかるのだが、何故か越路において天香語山命の功績には「金」に関するものが無い。つまり越路には天香語山命が来る以前には既に金属に関する文化が根付いていたのではないかという憶測が成り立つ。となれば、弥彦に結び付くであろう風の属性は、「天香語山命=弥彦大神」には無いということだろう。また弥彦大神の霊験としての目玉は「雨乞い」と「疫病を祓う」ものであり、弥彦山は「雨呼ばり山」とも呼ばれていたのは、山そのものが水神の御神体であると云われているようだ。
天香語山命は、崇神朝の四道将軍の大彦命の投影だとされる説もあり、また熊野における高倉下と天香語山命は別説もあり、天香語山命自体が不安定な存在であるようだが、ここで言及するつもりは無い。ただ天香語山命が支配下に置いた安麻背は「海背」でもあり「山背」と対を成す風の属性がある。となれば本来の風の属性は安麻背がもたらしたものだろうか?
こうしてみると弥彦大神が現在、天香語山命であると伝わっているにしろ、天香語山命の属性が弥彦大神のそれとは違い、何故か鬼婆である筈のヤサブロバサの方に弥彦大神の属性が宿っているようである。つまりこれらから言える事は、本来の弥彦大神とは天香語山命では無いという事だろう。

鬼婆で有名なヤサブロバサの伝説は様々あるが、桜の古木の下の岩窟で住んでおり、夜な夜な麓の村から子供をさらって食っていたが、いつしか神通力が衰え伊夜日子の妻となったというものがあるが、これは遠野の「サムトの婆」に重なる伝承でもある。「サムトの婆」の後日譚は、六角牛の山神にさらわれ、不動明王と住吉神を祀る沢の岩窟に住んでおり、風の強い日に里へと降りて来た。桜は山の神とも結び付き、神の座す樹木である。神を祀る滝の傍に住むサムトの婆とヤサブロバサとは、殆ど同じ存在でもある。そして、そのヤサブロバサと弥彦大神である伊夜日子と結び付くのは、先に記した越路に赴いた天香語山命と先住の神結び付きを暗示するような伝承である。
「寒戸(サムト)の婆」の「寒戸」の地名の本当は「登戸」であった。これは柳田國男が書き間違えたか、聞き間違えたか、いろいろ説はあるが「サムト」の「サ」は「サクラ」と同じように、神が齋聖なる言葉であった。そう考えると、柳田國男は意図的に神と結び付いた婆として「サムト」とした可能性もあったのではないか?
ところで「遠野物語拾遺166」の記述に「風袋」が登場するが、解説には「吹流しの先を裂け目無く閉じて袋にしたもの」とはある。ヤサブロバサの伝説の一つに、赤子を風袋に入れて食べていたヤサブロバサは、その後弥三郎神社に祀られたが、その神社には、ヤサブロバサが伝えた"いつまでも栄える"という「開けずの俵」が今でもあるという。
また弥彦大神はウサギに案内され、弥彦の十宝山山頂に立ち、沼地であった蒲原平野を開拓したというのは、ウサギ=月の結び付きが見える。「遠野物語拾遺166」には光り物が登場し、月とのバトンタッチを果たしているのは、光り物が月の化身であるとも考えてよかろう。
風の属性を示す早池峯を中心として、遠野には「サムトの婆」の話であるとか「キャシャ」の話であるとか、ヤサブロバサの伝承に繋がるものがあるのは、本来の弥彦の神と近似したものが、早池峯の神に被せられたのか、もしくは本来同一であった可能性があるかもしれない。