遠野の卯子酉神社は、縁結びの神で有名となった。それ以前は、多賀神社が縁結びで有名であったが、どうも"赤い布切れを左手だけで結ぶ"という呪いが、一般大衆に受けたようでもあり、今では縁結びの神といえば"卯子酉神社"となった。
卯子酉神社では、赤い布切れを結ぶのだが、赤い色は火を表し、更に血の色も表す。実は左手の「ひ」とは「火」であり、太陽の「日」でもある。日本の神道世界は、太陽信仰でもある為か、左手を神に手を合わせる場合、合わせた手から右手を少し下げ左手が右手よりも前に出るのは、左尊右卑の思想が入り込んだせいでもあるが、その根源はどうも中国から来た陰陽五行のようだ。中国でもやはり左尊右卑の文化があるが、モンゴル帝国に滅ぼされた時、強制的に右尊左卑に帰られたという。つまり北方の騎馬民族の文化は、右尊左卑という事だ。もしかしてだが、日本の神道世界は未だに左尊右卑であるが、一般庶民の文化では左を忌み嫌う節があるので、もしや騎馬民族文化が入り込んで定着したものだろうか?
右利き、左利きがあるが、生れた人間をほっといても、自然と右利きになる場合が殆どであるらしい。つまり左利きとは人類のイレギュラーみたいなものかもしれない。しかしピアノ世界では、左右両方尊重されている。片腕の人の為に「左手だけの…。」とか「右手だけの…。」という曲が作られるが、それでも左右均等に使えてこそのピアノである。だから単純に言えば、小さい頃からピアノを習えば、右利き、左利きをあまり意識しなくなるのかもしれない。
スポーツ世界に
「黄金の左」とか
「左を制する者は世界を制する」などという言葉があるのはやはり、左が貴重であるという意味がある。野球においても、わざわざ左打ちに治すのは、一塁ベースが少しでも近くなるよう有利にする為だ。
昨日テレビで観た「
梅宮アンナの逆転ダイエット方法」は、なるほどと頷いた。食事を全て逆にするという事だった。肉と野菜があれば、真っ先に"御馳走"である肉から食べるのが一般的に多い筈だ。それを必ず野菜から食べるというもの…に付け加えて、利き手とは違う手で、食事を摂るという事だった。
これはつまり、利き手で食べればスムーズに食べれるのだが、早食いになってしまう人が多い。お腹というものは勢いで食べると、かなりの量を食べてしまう場合があるからだ。だから早食いは太るとも云われる。それを利き手とは逆の手で食べるという事は、スムーズに食べる事が出来ない。つまり自然とゆっくり食べてしまうとなれば、自分に見合った食べ物の量で"満腹"となってしまう。ちなみに自分は両利きで、どちらでも箸を持って食べれるので、このダイエット方法は意味が無い(^^;
話は脱線してしまったが、
桂井和雄「ひだり考」には、山で撃ち取ったウサギを軒下に吊るす場合、左前脚を残してから吊るすという習俗が紹介されている。この残した左前脚は、お月さまから貰ったものであり、この左前脚が七匹の友を呼ぶとされ、呪いとして残し、神に捧げるようである。ただウサギは玉兎とされ、月の使者でもある。月は陰陽で表せば陰であり、左右で表せば右となる。それ故逆に、その月であるウサギの左前脚とは、かなりの貴重なものであると考える。だからウサギの左前脚は、神に捧げるに値するのだろう。また人間の左手も、様々な分野で貴重であるのが理解できる。とにかくいろいろな意味合いから左手は鍛えつつ、大事にしましょうぞ。