遠野から釜石へ越える仙人峠は、昔その下の千人沢の金山が崩れて、
千人の金堀りが一時に死んでから、峠の名が起ったという口碑があり、
上郷村の某寺は近江弥右衛門という人がその追善の為に建立したとも
言い伝えている。
また一説には、この山には一人の仙人が棲んでいた。菊の花を愛したと
言って、今でもこんな山の中に、残って咲いているのを見ることがある。
それを見つけて食べた者は、長生をするということである。
あるいはその仙人が今でも生きているという説もある。前年、釜石鉱山の
花見の連中が、峠の頂上にある仙人神社の前で、記念の写真を取った時
にも、後で見ると人の数が一人だけ多い。それは仙人がその写真に加わっ
て、映ったのだということであった。
「遠野物語拾遺5」
森の下という地に慶雲寺があり、これが「遠野物語拾遺5」で紹介されている某寺となる。以前は山中にあった小さな草庵であったようだが、佐比内地域を開拓した近江弥右エ門が慶長二年(1577年)に寺領を寄進してから、この地に慶雲寺が建立されたという。ただ坑道が崩れて千人死んで供養したというのは眉唾ものであろう。以前、コンビニに置いていた「東北心霊スポット」という雑誌に、仙人峠にはツルハシを持って追いかけてくる恐ろしい幽霊が出没すると紹介されていたのを記憶しているが、これも眉唾ものの伝説に付随した誰かがでっち上げた話であろうと思う。
ところで仙人が好きな菊の花で思い出したが、中国から伝わった
「菊水伝説」というのがある。この伝説が日本に定着したのは平安の頃なのだそうな。元々は、中国からのものであるが「桃源郷」と並ぶ理想郷の話である。中国のある地方を流れる川の上流には菊の花が多く、菊花の雫が落ちる谷川の水を汲んで飲んでいる三十余軒の住民には百歳を超える長寿者が多い。これは菊の花が人々の心身に生気を与えているからである。またこの菊水を飲んで、長患いを治して百歳近くまで生きた武官がいた事から、都においても菊の種を蒔くようになったのだと。
また9月9日、重陽の節供に酒好きの陶潜が酒を切らして自宅近くの菊の群落の中に座っていたところ、白衣を着た不思議な人物が現れて酒をご馳走してくれて、陶潜はすっかり酩酊して帰宅したという話がある。これらの話が平安の知識人の憧れの的となり、和歌に詠われ、屏風絵の画題にもなったという。いつしか菊は桜と共に、日本を代表する花となったのだが、ここまで根付いたのには「菊水の伝説」だけではなく、太陽が輝くような均整のとれた花形から
「太陽の象徴」ともされ
「日精」と称せられたという。
写真を撮ったら、一人多く写っているというのも中国の「菊水伝説」が日本に伝わり、後世まで伝わったからではないのか。確かに仙人峠は、海で発生した霧が風に煽られて、日中でも不思議な霧が立ち込める場所でもある。この幻想的な雰囲気に"仙人峠"という摩訶不思議な峠の名が脳裏に刻まれて、このような伝説を作り出したのかもしれない。