【金子富之氏作品】孫左衛門が家にては、或日梨の木のめぐりに見馴れぬ茸の
あまた生えたるを、食はんか食ふまじきかと男共の評議し
てあるを聞きて、最後の代の孫左衛門、食わぬがよしと制
したれども、下男の一人が云ふには、如何なる茸にても水
桶の中に入れて苧殻を以てよくかき廻して後食へば決して
中ることなしとて、一同此言に従ひ家内悉く之を食ひたり。
七歳の女の児は其日外に出でゝ遊びに気を取られ、昼飯を
食ひに帰ることを忘れし為に助かりたり。
不意の主人の死去にて人々の動転してある間に、遠き近き
親類の人々、或は生前に貸しありと云ひ、或は約束ありと
称して、家の貨財は味噌の類までも取去りしかば、此村草
分のなりしかども、一朝にして跡方も無くなりたり。
「遠野物語19」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「平家物語(禿髪)」で、清盛が「禿髪」と呼ばれる童形の武力集団300人を置いたのは自らが病の床に臥してからだった。そして平家に対して悪口を言う者があれば、直ちにおしかけて家を取り壊し、家財道具を没収し、家人を連行して平家の拠点である六波羅にて処罰したという。この禿髪は禁中への出入りすらも自由であり、都の官人達の統制もきかない有様であったようだ。
この子供らは14,5歳で構成されており、当時であれば元服となってもおかしくない年頃であった。子供には神聖が宿るとも云われたものだが、実際は7歳までは"神の子"であり、糞尿を漏らそうが、これは神がした事でもあるので、それは仕方の無い事として、親は無性に7歳までの子供達には何もさせず育てたと云う。しかし、一旦7歳を超えると、もう人間の子として扱われ、家事手伝いをしてきた歴史がある。
ところで「平家物語(禿髪)」だが、子供の姿の密偵であり、その禿髪の子供らの報告によって家財道具が没収となるというのは、座敷童子がその家から出た為に没落したという話に似通う。
【金子富之氏作品】ヨーロッパの暗黒時代に「魔女狩り」というものがあった。世の中が不安定になると、人々はその原因を摩訶不思議なものに求めてしまう。しかし魔女狩りの後半は、単に妬ましい心から、あの家の財産を奪ってしまおうという意識から「あの家の人間は魔女だ!」と。もしくは、好きだった女性にふられた腹いせに「あの女は魔女だ!」と、善良な市民であっても魔女裁判にかけられたのだという。そうなれば、どうしても生きては帰れないので、財産は全て没収となった。
山口孫左衛門の死後、いろいろな人々が家に押し寄せ、本当かどうかわからぬが、家財を持っていく「遠野物語19」は、ある意味魔女裁判に近いのかもしれない。後で語られる、座敷ワラシが二人出て行ったとの話。または、下男達が蛇を殺したのだという話。全ては、孫左衛門が死んで没落した後に、後付理由で語られたものだと考える。
ところで「平家物語」での禿髪は、平清盛が病に倒れてからのもの。その後回復を果たすのだが、要は病に臥している間、周囲に対する不信感から、この禿髪制度を実施している。ただし、その禿髪制度で、どれだけの被害があったのかはわからない。ただ想像するに、当時絶対であった平清盛の悪口を言っただけで、全ては無に帰したというのは想像できるものだ。いつの世も、不信の心が芽生えれば、どんなものでも、その不信の心の犠牲になってしまう。中世ヨーロッパの魔女裁判は、その最もたるものだった。
遠野地方は、立地条件から沿岸や内陸への中継点となり、様々な市が開かれ、賑わいはあった。しかし、当時の作物などは冷害が起きれば、すぐに食べるものが無くなり、人を殺してまで生き抜いたという事もあったという。そんな時代の中、ある屋敷に福の神が入ったまま出てこなかった。もしくは、山伏がある家に入るのを見たが、その家から出るところを見た者はいないなどという話が「遠野物語」も含め、遠野地方にかなり伝わっている。
この話をそのまま、あの家では旅人を殺して奪った金で金持ちになったに違いないという穿った見方が成された話でもあると思う。つまりこれは、人々の奥底に潜む妬みという心が、こういう話を作り上げたのではないだろうか?この現代でも遠野では「人が成功すると、妬む者が多い。」 とも云われる。田舎であればあるほど、世間が狭ければ狭いほど、家族でなければ、その人の成功を心から喜ばないのだとも言われる。例えば、小説にもなった「八墓村」もまた、狭い田舎世界が作り上げた惨劇であり悲劇だった。
遠野や県内の座敷ワラシの話を読むと、座敷ワラシが出て行った為に没落したという話とは別に、座敷ワラシが出て行っても家は傾かなかったというもの数件ある。座敷ワラシが出て行った、いや出て行かない!と言い合った話もある。つまり、座敷わらしが出て行った為に家が没落したというのは、後から付け加えられた話なのかもしれない。そうでなければ、座敷ワラシが出て行ったのならば、100%没落する筈であるから。
ところで座敷ワラシの姿についてだが、俗に云うポルターガイスト現象という姿を見せない騒霊現象さえも座敷ワラシの仕業と云われている。また、姿形が一般的に云われる座敷ワラシのものでなく、どちらかというと獣に近い物の怪であっても、座敷ワラシと云われる。つまり座敷ワラシの姿とは、河童のように、後で形が定まったものと思って良いのかもしれない。
宮守村字塚沢、太田代某という家には土蔵があり、何か唸るような音がし出して3日ほど続いたが、その頃から座敷ワラシが現れたと云う。丈は1尺2,3寸で、ちょうど臼搗子という種類のものらしく、座敷の内をとたりとたりと跳ね回る。色は黒く何だか獣みたいであったという話である。この話、要は家の中に現れる物の怪の類は、全て座敷ワラシとして伝わっている。
遠野大工町の佐々木某氏の家は、代々大工職である。そこの息子がある時、二階の仕事場で働いていると、色の黒っぽい二つ位と見える子供のようなものが何処からともなく現れて、ちょこちょことその辺を歩き回っているという。その黒いものに菓子などを与えると、平気で取って食うのだと。たまに猫などが窓に近付いて中を覗く場合は、その黒いものは猫に対して「ふぅ!ふぅ!」と威嚇するようである。この話も、座敷ワラシとして紹介されているのだが…果たしてその正体は?