川には河童多く住めり。猿ヶ石川殊に多し。松崎村の川端の家にて、二代まで続けて河童の子を孕みたる者あり。生まれし子は斬り刻みて、一升樽に入れ、土中に埋めたり。其形極めて醜怪なるものなりき。
女の聟の里は新張村の何某とて、これも川端の家なり。其主人に其始終を語れり。かの家の者一同ある日畠に行きて夕方に帰らんとするに、女川の汀に踞りてにこゝと笑ひてあり。
次の日は昼の休に亦此事あり。暫くすること日を重ねたりしに、次第に其女の所へ村の何某と云ふ者夜々通ふと云ふ噂立ちたり。始には聟が浜の方へ駄賃附に行きたる留守をのみ窮ひたりしが、後には聟と寝たる夜さへ来るやうになれり。
河童なるべしと云ふ評判段々高くなりたれば、一族の者集りて之を守れども何の甲斐も無く、聟の母も行きて娘の側に寝たりしに、深夜にその娘の笑ふ声を聞きて、さては来てありと知りながら身動きもかなわず、人々如何にともすべきやうなかりき。
其産は極めて難産なりしが、或者の言ふには、馬槽に水をたゝへ其中にて産まば安く産まるべしとのことにて、之を試みたれば果して其通りなりき。その子は手に水掻あり。
此の娘の母も亦曾て河童の子を産みしことありと云ふ。二代や三代の因縁には非ずと言ふ者もあり。此家も加法の豪家にて〇〇〇〇〇と云ふ士族なり。村会議員をしたることもあり。
「遠野物語55」
上郷村の何某の家にても河童らしき物の子を産みたることあり。確なる証とては無けれど、身内真赤にして口大きく、まこといやな子なりき。忌はしければ棄てんとて之を携えて道ちがへに持ち行き、そこに置きて一間ばかりも離れたりしが、ふと思ひ直し、惜しきものなり、売りて見せ物にせば金になるべきとて立帰りたるに、早取り隠されて見えざりきと云ふ。
「遠野物語56」
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この話は、河童の夜這いという話となる。遺伝子的に現代では考えられないが、古代では人間の女と獣が結び付く事が懸念されていた。その為、女人禁制の山の説にはいろいろあるが、山の獣と交わらないよう、女性を山へ立ち入る事を禁じたという事もあったようだ。
またそれとは別に昔、東禅寺という若い坊さんを抱えた修行寺があり、煩悩に打ち勝てなかった修行僧が夜な夜な寺を抜け出し、近隣の村などに夜這いをかけたという話がある。お忍びで通った峠を、今では忍峠(しだとうげ)と呼び、そのリアリティは今でも遠野に生き続けている。夜這いは然程、遠野にはなかったのでは?という話もあるが、自分の知っている限りでは、昭和50年代前半までは行われていた話を、内密に聞いている。
また交通網が発達していない昔は、遠野の各町村は孤立していたようであり、何かが無い限り…例えば、買い物や商取引などの用事が無ければ、大抵の場合村の内部に閉じ篭っていたようである。その為に、婚姻は村内部で行われる事もしばしばあり、血が濃くなっていったという。その場合、やはりというか奇形児の発生もかなりあったのだと云う。それを危惧して、例えば沿岸から海産物を売りに来た人物に、家の娘を嫁にやるなどという親同士の結び付きが生まれ、娘達は、まだ見ぬ旦那と婚姻を果たさねばならない憂き目にもあっていたようだ。
しかし東禅寺の若坊主が夜這いしていたのと同じように、各村々でも夜這いは行われていたようだ。家の者にとっては、まだ嫁入り前の娘が妊娠したとなると、誰の仕業か!と激高してしまったようだ。何故なら、親同士の取り決めで、嫁ぎ先が決まっていた場合、その娘は傷物となるわけであったから…。その為に生まれてきた赤ん坊を親は許すはずも無く、処分されたという話もまた聞いている。
神が零落して河童という妖怪になったという説があるが、人間が零落しても、やはり河童という妖怪になったのだろう。殺人事件において、被害者の体を切り刻むという行為は、相手に対する怨みの深さを表す行為であると言われる。この「遠野物語55」においても、生まれたであろう河童の子供が無残にも切り刻まれるというのは、気持ち悪いというだけでなく、それだれ憎しみを持っていた表れなのだろうと考える。そこにあったのは、もしかして人間のエゴもあったのかもしれない。
例えば、結納金というのがある。娘を嫁がせる代わりに、お金を納めてもらうというものだ。これは体の良い人身売買みたいなもので、金持ちの家に見初められれば、娘の家には多額の結納金が入る。しかし娘が傷物にされてしまうとなると、娘が孕んだ後に生まれてきた赤ん坊は、憎んでも憎みきれない存在となってしまう。これを「遠野物語55」を現代に当てはめてみれば、生まれてきたものが人間であれば殺人という罪となる。しかし、河童の子であれば人間では無いのだ。
日本語に「何処の馬の骨かわからぬ…。」などという、相手を称して動物に対比させる言葉がある。つまり日本人の意識の中に、どこか認めない相手に対しては、人間では無いと思わせる観念があるのだろう。人間を罵倒する言葉に、多くの動物の言葉があるのは、その観念を如実に物語っているのかもしれない…。
また、ある父親が生まれてきた我が子を見て「こんなの、自分の子供じゃない!」と騒いだという話を聞いた事がある。実は、生まれたばかりの赤ん坊は顔は赤く、毛も無く、へたすりゃ顔もうっ血して、人間の子供というより、猿の子供?と思わせる場合もままある。正直本当の可愛さは、やはり生まれて時間が経過してから、やっと人間に近くなるような気がする。
ある地域では、小猿を食べる習慣があるのだと。その小猿の毛をむしり茹でると、それは猿ではなく、まるで人間の赤ん坊を茹でているように見えるのだと。それを知らない者が、その茹で上がった猿の子を食べる姿を見れば、まるで人間の赤ん坊を食べているようだと。
つまり、生まれたての赤ん坊という存在は、人間であって人間には成り切れていない存在でもある。テレビなどで登場する赤ん坊は、本当に可愛らしい赤ん坊を採用してブラウン管に映し出されているのだが、なかには実際に人間の子らしからぬ赤ん坊に見える赤ん坊もいるのは、否定できない事実だと思っている。
ただ「遠野物語55」に登場する河童の子を産んだ娘は、既婚であるにもかかわらず、河童の夜這いを受けた事になる。ただしだ…この娘の家は有力者の家であるという事は、娘も何不自由なく過ごし、野良仕事に従事する娘達とは、肌の色も白かったと思われる。美人の定義に色白というのがあるが、大抵の場合は野良仕事をしない良家の娘が殆どそれに当てはまる。
オシラサマの話でもそうだか、大事な娘に手を付ける者は酷い仕打ちを受けるもの。ただ、良家の家の娘ほど自由奔放であり、自らの思いを成し遂げるのを普通にやってのけるものだ。オシラサマの話でも、自分が愛した存在が馬であれば、その馬を求める。オシラサマの物語も、この河童の子を産んだ話も、実はそれほど違う話ではないのかもしれない。
この「遠野物語55」は既婚でありながら、未婚時代に結ばれていた男を家に呼び込み結ばれた話でもあったのかもしれない。ここに良家の娘の、自由奔放さが伺われる。ただし世間体から、河童の夜這いとなって伝わった可能性がある。
ところで「遠野物語56」では、その生まれた”河童の子”を”道がえ”に棄ててきたとある。道がえとは村外れなどの辻であり、村外れの辻は異界の入り口でもある。魔物が現れる、侵入する場所でもあるので、石碑・石塔を建てるのは、その侵入を防ぐものでもある。逆に、河童の子をそこに棄ててくるのは、異界に返すという意味合いも込められているのだ。