【金子富之氏作品】
山口の田尻長三郎と云ふは土淵村一番の金持ちなり。当主なる老人の話に、
此人四十あまりの頃、おひで老人の息子亡くなりて葬式の夜、人々念仏を終
わり各帰り行きし跡に、自分のみは話好きなれば少しあとになりて立ち出でし
に、軒の雨落の石を枕にして仰臥したる男あり。よく見れば見も知らぬ人にて
死してあるやうなり。
月のある夜なれば其光にて見るに、膝を立て口を開きてあり。此人大胆者に
て足にて揺かして見たれど少しも身じろぎせず。道を防げて外にせん方も無
ければ、終に之を跨ぎて家に帰りたり。
次の朝行きて見れば勿論其跡方も無く、又誰も外に之を見たりと云ふ人は無
かりしかど、その枕にしてありし石の形と在どころとは昨夜の見覚えの通りなり。
此人曰く、手を掛けて見たらばよかりしに、半ば恐ろしければ唯足にて触れた
るのみなりし故、更に何物のわざとも思ひ付かずと。
「遠野物語77」
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この門口の石が登場する話は「遠野物語23」にもある…。
同じ人の二七日の逮夜に、知音の者集まりて、夜更くるまで念仏を唱へ立帰
らんとする時、門口の石に腰掛けてあちらを向ける老女あり。其うしろ付正しく
亡くなりし人の通りなりき。此は数多の人見たる故に誰も疑はず。如何なる執
着のありしにや、終に知る人はなかりし也。
「遠野物語23」
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雨落ち石は通常、雨の雫がしたたり落ちる屋根の下に置くものであり、門口に置くという事は、まずありえない。すると「遠野物語23」「遠野物語77」での門口の石は幻想なのだろうか?遠野の新町の某所に住んでいた者は、毎晩幽霊に悩まされていたのだと。そこで、檀家である寺の住職に相談したところ、そこは霊の通り道であると告げられたという。
「遠野物語23」の話の舞台は、佐々木喜善の生家である。この喜善の家を挟む様に、デンデラ野とダンノハナがある。遠野での一般的に、ダンノハナとデンデラ野はセットである場合が多々ある。小友町でのデンデラ野とダンノハナの関係は、死者が出た場合ダンノハナで狼煙をあげて、デンデラ野へと死体を運んだのだという。つまり、ダンノハナからデンデラ野への道というものは、ある意味霊の通り道なのだと考える。
「遠野物語77」での葬式の場所は”おひで老人”の家となっているが、この”おひで老人”の家の場所はやはり、同じ山口部落内で、「遠野物語69」に登場する魔法に長けた婆様であり、佐々木喜善の祖母の姉の事である。やはりデンデラ野とダンノハナの間にある為、霊の通り道であったのかもしれない。それか、佐々木家の血筋が、そういうモノを見せたのだろうか?
ところで「遠野物語77」の視点は田尻長三郎のものであるが、「遠野物語23」の視点は、果たして誰の視点から見たものであろうか?思うにこれは、佐々木喜善の視点からの話だったのだろう。
佐々木喜善と会って話した本山桂川という人物が、喜善をこう評している…。
「喜善君は変わってはいたが、変人ではない。狂的なところがあったが狂人
ではない。瞬間的に幽霊かオシラサマ、ザシキワラシの話になると常人では
無くなった。彼は健康に恵まれ、意志が強かったら変人・奇人で通したろうが、
普通の生活では病弱の為か、その異常を抑えて周囲と妥協していた。」
恐らく「遠野物語23」における門口の石に座る老婆は、そういう喜善が見たものであろう。とにかく、霊が存在するか否かはさて置いて、迷信が深く信じられていた時代であれば、葬儀という人の死に接した後である為に、そういう幻想的な光景を見易い状況でもあった筈だ。ましてや門口の雨落しの石という非日常の物があったというだけで、もうその時点で、その時間は異次元世界となっていたのだろう…。