「東北民間信仰の研究(下)」
「漁村の信仰の中に漂着物に関する記載があり、海の彼方から流れ
寄るものを常世の国よりの贈り物として大切にし神体にしたりする例
も多い。この地方でも浜で引いた網にかかった石や鯨の骨をエビス
神社に納める。海上を漂う水死人をエビス神とする例さえ見られ、大
漁をさせてくれる神とする。大漁させるかどうか問答するのも一種の
呪術である。」
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東北沿岸全般に、やはりというかエビス信仰があった。エビスの形態は様々云われるが、エビスは「恵比寿・夷・戎・恵比須・蛭子・胡」と様々な漢字があてられるが、元は「古事記」による足の立たない子供が、海へと流された話に帰着し、その足の立たないのは足が無い為であり、蛇であろうとされる。つまり、某人物が、海釣りをしている最中、難破船を発見し、その難破船の破片を持ち帰り死者の霊を弔う為に、その難破船の破片を大額として篠権現に飾ったのだという話は、エビス信仰から来ているものであり、この篠権現はエビスとの繋がりを持つものであろう。
何度も書くようだが、エビスの被る帽子は烏帽子であり、形状は三角形。これは、蛇の頭を現すものである。伝承では、葛西の浪士達がこの地を開拓する為に武器を埋め、篠権現を建立したという事だが、本来はもっと古いもので、この地にエビスであり蛇であり、龍が祀られていたものを、葛西の浪士がそれを拝め奉り、篠権現を建立したのではなかろうか?そうでなければ、沿岸地域に信仰されるエビスをこの土室の地葛西の浪士が持ちうる由縁がわからない。なので、元々蛇を祀る地に、後から篠権現を建立したのだと考える。
また篠権現には虎頭の権現が祀られているというが、虎といえば虎舞を思い出す。中国の易経では「雲は龍に従い、風は虎に従う」とある。風を従わせる事ができる虎の威を借りて火難・海難をもたらす風を鎮め、五穀豊穣・豊漁を祈るのが沿岸地方の信仰であるが、内陸の場合は火伏せの意味があるらしい。
岩手県の虎舞は殆ど沿岸地域に集中しているのだが、何故か遠野市の小友町には虎舞が伝わっている。これは海でたまたま、遠野の人間に助けられた沿岸地域の高田の漁師が、自作の虎頭の権現を祀ってからなのたろう。
また篠権現は疱瘡の神様であると言い伝えられ、以前は遠方からも多くの人々の参拝があったと聞くが、それは遠野市上宮守の与平次という人物が「つる(耳)」の無い鉄鍋を奉納したところ、たまたま疱瘡にかかった人物が、その鉄鍋を被ると治った為、評判となったらしい。実は「耳無し」というのもまた、蛇の象徴である。その耳が無い鍋を被る事により、蛇になり切り、蛇の脱皮による生まれ変わりの霊力が宿ったものとして伝わったものであろう。
文章が重複してしまうが、篠権現の由来には、葛西の浪士が百姓として生きていく為に、この土室の地に武器を埋めて、篠権現を建立したというが、この篠権現がエビスを含む蛇信仰の神社であるならば、まず先に蛇ありきと考えるのが正しいものと思う。何故かというと、蛇は祟るからである。蛇を祀る地に移り住む場合”それ”を崇める必要がある。つまり本来、葛西の浪士が来る以前から、この地は、諏訪の御室神事の信仰が根付いていた”土室”と呼ばれ、地域の住民はその地を避けて住んでいたのだろう。そこに後から辿り着いた葛西の浪士達が”土室”に住み着く為、その地を鎮め、崇める為に篠権現を建立したものと考える。
ところで「遠野物語拾遺56話」に登場する姥神なのだが、姥神で調べると現れるのは北海道の江刺地方に伝わる姥神大神宮となり、やはり豊漁の神として崇められているので、エビスとも結び付きそうだ。
物語の中で”三度”姥神に呼び起されるくだりがあるが、この”三度”というのに意味があるのかもしれない。三という数字は聖数であり、日本には…例えば三山とか御三家とか、いろいろ三に対する信仰と拘りがある。エビスは夷”三郎”とも記され、エビスが蛭子であるならば蛭子は、生まれて”三年”経っても足が立たなかったとされる。「竹取物語」のかぐや姫もまた、生まれた時は”三寸”の大きさで”三ヶ月”で成人し”三日”かけて、成人のお祝いをしたとあり、何かと”三”という数字には聖なる意味合いが持たれている。そういや蛇になったで有名は甲賀三郎と、やはり名前に三が付くように「遠野物語拾遺56」において姥神が三度、寝ている子供を呼び起したというのには意味があるとは、考え過ぎだろうか?
また前の記事で、蛇は耳無しであると書き記したが、耳が聞こえないという意味の漢字には「聾唖」がある。「聾唖」の「聾」とは「耳」の上に「龍」が乗っているのだが「龍の耳」と「蛇の耳」は同義であり、蛇には耳が無い事から、蛇は耳が聞こえないとなる。

篠権現の社に向って左脇に、こんもりとした円錐形の小山がある。そこには、山の神の石碑が鎮座しているのだが、もしかしてこの円錐形の小山そものが、土室の語源となった場所では無いのか?と感じてしまう。山の神は女神であるとも云うが、地域によっては狼であったり猪であったり蛇だったりする。三輪山の主が実は蛇であったという事。その三輪山の形状は円錐形で、これは蛇のとぐろを巻いた姿であるという。

小友には、某人物が作った竪穴式住居があるが「御室神事」で使用される”土室”とは、写真の竪穴式住居に近いものらしい。これは円錐形をしていて、やはり蛇のとぐろを巻く姿を模しているのだと。それはつまり、三輪山と同じ構造をしているものと考えて良いのだろう。つまり、篠権現の左脇にある、こんもりした円錐形の小山そのものは蛇であり、それを祀る為に後から山の神の石碑を置いたのだと考える。
実際、この篠権現脇の円錐形の小山は、周囲の風景を見渡しても違和感を覚える。どうも、人為的に作られた小山のようだ。また山の神の石碑の脇に、かなりの樹齢のモミ木が植えられている。つまり、この円錐形の小山は意図的に土室を作ったものだと思ってしまう。
ここで最初に立ち返ると、没落した葛西の浪士達が、刀を埋めて百姓になったというのだが、その刀を埋めた場所が、もしかしてこの円錐形の小山なのにかもしれない。刀そのものは、神の依代であるとともに、蛇の見立てでもあり「遠野物語」でも、いくつかの刀が蛇に化ける話が紹介されている。つまり、刀を埋葬するという事は、蛇を祀ったものだとも思えてしまうのだが…。