遠野の町あたりでいう話では、昔ある田舎に父と娘とがあって、その娘
が馬にとついだ。父はこれ怒って馬を桑の木に繋いで殺した。娘はその
馬の皮を以て小舟を張り、桑の木の櫂を操って海に出てしまったが、後
に悲しみ死にに死んで、ある海岸に打上げられた。その皮舟と娘の亡骸
とから、わき出した虫が蚕になったという。
「遠野物語拾遺77(抜粋)」
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オシラサマの話は、形を変えて遠野に伝わっているが、この話はまた他の話しと、少し違う。皮舟というものが登場し、海へと流れている。
現実的には、遠野から海へ出る為には猿ヶ石川から奥羽山脈沿いに流れる北上川に合流し、そのまま宮城県の石巻へと流れ、海へと辿り着く。ただこれは、かなりの長旅である為に、現実的に不可能だ。また土淵・青笹・上郷の山を越えれば、海へと辿り着く鵜住居川や甲子川、大槌川があるのだが、これならば遠野市からはみ出す形になってしまう。つまりオシラサマの雑多な話は、遠野だけではなく沿岸地域からも遠野の町に流れて伝わっているものと考える。沿岸と内陸の丁度中間にあたる遠野には、頻繁に市場が開かれ、その時にいろいろな話が集まってきたのだろう。
ところで水には浄化、死者の魂送りなどの意味があり、死者の国も海の彼方にあると信じられていた。また船には、他界へと導くモノとか、安息所、霊魂の住処、棺、墓地、などの意味もある。
帆船の支柱を生命の樹と呼んだという。また住吉三神の筒に関係してか、舟の支柱に穴があり船の魂を入れる場所をツツと言ったらしい。つまり帆船などの支柱は、魂の宿る樹でもあり、海洋の上にも一つの樹木信仰が見いだせる。
そしてその舟なのだが、この「遠野物語拾遺77」では”皮舟”とある。古代の皮舟とは、骨組みに皮を張り、その上から瓦などに使う赤土(埴土)もしくは馬などの糞を塗りたくり防水の役目を果たした。これから「皮舟」は「泥舟」とも云われた。
泥舟といえば「日本書紀」において素戔男尊が新羅の国から土舟で出雲に渡ったという記述がある。この土舟も、また同じだろう。アイヌの風習には、死者を土舟に入れて川や海に流すので、やはり舟は死者を乗せる棺の意味もあり、また魂を運ぶものでもあるのだと思う。
思い出すのは「カチカチ山」で、泥船にのって溺れ死んだタヌキは、その前にウサギから櫂の一撃を食らっている。「遠野物語拾遺77」での皮舟の櫂は、馬が死んだ桑の木で作られた櫂だ。この櫂という”樹”という存在も、生と死に、何らかの影響を与えているのだろう。
また「遠野物語拾遺77」での話では、娘の死体から湧き出した虫が蚕になったというものは「古事記」では素戔男尊が大宜津比売神を殺し食物が湧き出た話や「日本書紀」での月読命が保食神を殺し食物が湧くという話が挿入されているのがわかる。つまり、馬と結び付いた娘とは、神婚によって”神”となった存在として捉えてもいいのかもしれない。馬の最高位は竜となる。つまりオシラサマの話に登場する白馬は、白竜となり娘を天空へと運ぶ存在でもあった。
空と海との違いがあるが、要は異界へと赴いた娘が人間と言う存在から”神がかった”のだと考える。イザナギとイザナミの間に最初に生まれた蛭子は、葦舟に入れて流されたがエビスという大きな神の存在になって帰って来たという。また塩土老翁が、山幸彦を龍宮に送り、シオミツダマとシオヒルタマを手に入れたなど、異界へと旅立った者は”神がかる”のだろう。故に海へ旅立った娘は、穀物神になった。しかしそのきっかけとなったのは、馬の死であり、桑の木ではないだろうか…。
古来から太陽は夕に死に、朝に生まれるとされ、毎日生死を繰り返していると信じられていた。大国主が何故に偉大な神として崇められるのかも、何度も生き返った事が大きいのかもしれない。つまり神という存在は、死んでも復活できるものだと。この「遠野物語拾遺77」での娘は桑の木が神としての依代となり、娘が神懸りし穀物神として生まれ変わったのだと伝える話であったのではなかろうか。