遠野の一日市に万吉米屋という家があった。以前は繁昌をした大家であった。この家の主人万吉、ある年の冬稗貫郡の鉛ノ温泉に湯治に行き、湯槽に浸っていると、戸を開けて一人の極めて背の高い男が入って来た。退屈していた時だからすぐに懇意になったが、その男おれは天狗だといった。鼻は別段高いという程でも無かったが、顔は赤くまた大きかった。そんなら天狗様はどこに住んでござるかと尋ねると、住居は定まらぬ。出羽の羽黒、南部では巌鷲早池峯などの山々を、往ったり来たりしているといって万吉の住所をきき、それではお前は遠野であったか。おれは五葉山や六角牛へも往くので、たびたび通って見たことはあるが、知合いが無いからどこへも寄ったことが無い。こからはお前の家へ行こう。何の支度にも及ばぬが、酒だけ多く御馳走をしてくれといい、こうして二、三日湯治をして、また逢うべしと言い置いてどこへか往ってしまった。
その次の年の冬のある夜であった。不意に万吉の家にかの天狗が訪ねて来た。今早池峯から出て来てこれから六角牛に往く処だ。一時も経てば帰るから、今夜は泊めてくれ。そんなら行って来ると言ってそのまま表へ出たが、はたして二時間とも経たぬうちに帰って来た。六角牛の頂上は思いの外、雪が深かった。そう言ってもお前たちが信用せぬかと思って、これこの木の葉を採って来たと言って、一束の梛の枝を見せた。町から六角牛の頂上の梛の葉の在る所までは、片道およそ五、六里もあろう。それも冬山の雪の中だから、家の人は驚き入って真に神業と思い、深く尊敬して多量の酒を飲ましめたが、天狗はその翌朝出羽の鳥海に行くと言って出て行った。それから後は年に一、二度ずつ、この天狗が来て泊った。酒を飲ませると、ただでは気の毒だといって、いつも光り銭(文銭)を若干残して置くを例とした。
酒が飲みたくなると訪ねて来るようにも取られる節があった。そういう訪問が永い間続いて、最後に来た時にはこう言ったそうである。おれももう寿命が尽きて、これからはお前たちとも逢えぬかも知れない。形見にはこれを置いて行こうと言って、著ていた狩衣のような物を脱いで残して行った。そうして本当にそれきり姿を見せなかったそうである。その天狗の衣も今なおこの家に伝わっている。主人だけが一代に一度、相続の際とかに見ることになっているが、しいて頼んで見せて貰った人もあった。縫目は無いかと思う夏物のような薄い織物で、それに何か大きな紋様のあるものであったという話である。
「遠野物語拾遺98」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「遠野物語拾遺98」に天狗が万吉に、雪の六角牛山へ登った証に、採ってきた梛の木を見せるシーンがあるのだが、ここで気になるのは、六角牛山に梛の木があるという事。そして万吉もまた、六角牛山に梛の木があるという事を知っているという事。
梛の木は、穢れや罪を祓い清める禊の木として用いられており、梛の木の葉で作られた御守は、すべての悩み事を”ナギ倒す”と云われるほどご利益があるという。また梛の木の葉は切れにくく、仲良く二つ並んで実をつけることから、梛の木には、夫婦円満、縁結びのご利益があるとされている。
縁結びというと遠野では、卯子酉神社が有名になってはいるが、本来は遠野の多賀神社が有名であった。多賀神社の御祭神はイザナギとイザナミで、実は元々この二神は、海人族が崇拝した神であったようだ。
イザナギの「ナギ」は「凪」を表し、また「梛の木」をも表す。そしてイザナミの「ナミ」は「波」を表すのだという。つまりイザナギ、イザナミ共に海を表す神でもあり、穢れ祓いにも関係する神でもあった。元々六角牛山には住吉三神が祀られていたようだが、それとは別に「綾織村誌」によれば速開津比売が祀られているのだと云う。速秋津日命は、イザナギとイザナミの間に生まれた神であり、祓戸の四神にも加えられ禊祓いの神でもある。大祓詞では、川上にいる瀬織津比売神によって海に流された罪・穢を荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百会に坐す速開津比売と云ふ神が呑み込んでしまうと記されている。
元々六角牛山は遠野だけではなく、沿岸地域の人々の信仰も厚く、六角牛山と刻まれた石碑は沿岸にこそ多い。それだけ海を意識しているのが六角牛山であり、その頂に穢れ祓いに使用される梛の木があると「遠野物語拾遺98」に記されているというのは、この頃既に、六角牛山には穢れ祓いの神である速開津比売が祀られているというのが周知の事実だったのかもしれない。