【金子富之作品】
十年程前に遠野の六日町であったかに、父と娘と二人で住んでいる者があった。父親の方が死ぬと、その葬式を出した日の晩から毎晩、死んだ父親かせ娘の処へ出て来て、いっしょにあべあべと言った。娘は怖ろしがって、親類の者や友達などに来て貰っていたが、それでも父親来て責めることは止まなかった。そうしてこれが元で、とうとう娘は病みついたので、夜になると町内の若者達が部屋の内で刀を振り回して警戒をした。すると父親は二階裏の張板に取附いて、娘の方を睨むようにして見ていたが、こんなことが一月ほど続くうちに、しまいには来なくなったという。
「遠野物語拾遺167」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
土淵村字栃内の渋川の某という男は、傷寒か何かの病気で若死したが、その葬式の晩から妻のところへ毎晩だねて来て、とてもお前を残したのでは行く処へ行けぬから一緒に連れに来たと言った。他の者の目には何も見えなかったが、その女房は毎夜十時頃になると、ほれあそこへ来た等と苦しみ悶えて、七日目にとうとう死んでしまったそうな。三十年近くも前の話である。
「遠野物語拾遺168」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
実は、これらの話と似たような話が石川県に伝わっている。それが下記の話だ。次郎兵衛が女房と娘を残して死んだ翌晩から、白衣を着た次郎兵衛の幽霊が出た。そこで人間の幽霊が獣の幽霊か見分けるために灰を撒いておいたところ、狢の足跡があり、それから来なくなった。
旦那が死んだ後に、毎晩通うところまでは同じなのだが、この幽霊の正体は実は狢であったという話になっている。となればもう一つの「遠野物語拾遺191」の話が浮かび上がる。
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附馬牛村字張山の某という家では、娘が死んでから毎夜座敷に来てならなかった。初めは影の様なものが障子に映ると、座敷に寝ている人々は一斉にうなされる。それが毎晩続くので多分狐の仕業であろうということになり、村の若い者が来て張番をしていたが、やはり淋しくてその時刻になると、皆堪らなくなって逃げ帰った。
隣に住んでいる兄があまりに不思議でもあるし、また真実死んだ妹の幽霊なら逢っても見たいものだと思って、ある夜物陰に忍んで様子を窮うていると、はたして奥座敷の床の間つきの障子に、さっと影が映った。そら来たと思ってよく見ると、これも一疋の隊狐が障子にくっついて内の様子を見ているのであった。
そこに有った藁打槌を手に持ち、縁の下を匍って行っていきなりその狐の背を撲ちのめすと、殺す気であったが狐は逃げ出した。それでもよほど痛かったと見えて、びっこを引き、歩みもよほど遅かった。追いかけてみたが後の山に入って見えなくなり、それに夜だからあきらめて帰って来た。その後幽霊は来ずまたこの男にも何の祟りも無かったそうである。
「遠野物語拾遺191」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最終的に、幽霊には足があるか無いか?の話ともなる。「遠野物語拾遺168」では、足の有る無し、またはその幽霊の正体を暴くというところまで行き着かず、結局幽霊に取り殺される話になっているが、実はこの幽霊にも正体はあった可能性がある。
石川県に伝わる話では、灰を撒いたとある。この灰を撒くという話は、かなりの広がりをみせる。
「荘子曰く、葦を戸に挿し、灰をその下に敷く。童子は入るに畏れず、しかして鬼はこれを畏る。」とあるように、古来中国においても、床に灰を撒くというのは、魔除けでもあった。これは鬼が足跡を見つけられるという事は、その正体を見破られたという事であり、その後に鬼はそこに近寄らなくなる。中国の鬼とは幽鬼とも言われ、日本の鬼とは違い霊体である為に、日本ではそれを幽霊と呼ばれる。
また少し違う話なのだが、北陸のマタギはツキノワグマに遭うと
「お前の秘密を知っている!ツキノワ!」と大声を出して、この言葉を叫ぶと、ツキノワグマは、自らの秘密がばれたものと思い退散するとされる。つまり、幽霊であれ、動物であれ、必ず実体と一緒に秘密も有しているのだ。そこで実体を退ける為には、その秘密を暴く必要がある。ところが「遠野物語拾遺168」では、その正体を探ることもせずに、そのまま魔の犠牲となる。
この灰を撒く話は、キリスト世界にもあり、ヘブライの古伝には、悪魔アスモデウスは体を隠してソロモンの妃に夜這いをかける話がある。ソロモン王は、夜な夜な悶え苦しむ妃の床に灰を撒き、その灰に鶏の足跡が印されるを見て、妃が悪魔と姦淫した事を初めて認めたという。灰を床に撒くという行為は、古今東西、魔であり鬼であり、物の怪の正体を見破る手段であった。それを果たせなかった「遠野物語拾遺168」の話は恐ろしい結末となってしまったのだが、本来は元の話があり、それが形を変えて伝わったのだと思う。
幽霊に足が無い姿は、1829年の随筆「松の落葉」で丸山応挙の絵が最初とされてきたが、1673年古浄瑠璃本「花山院きさきあらそひ」の挿絵には、藤壺の怨霊に足が無かったようだ。ところで、何故幽霊の足を無くしたのだろう?と考えてみる。まず最初に、生きている人物との区分けが必要になったのだと思う。例えば白装束を着ていたとしても、それが生きている人物か、幽霊なのか、はっきりとわからない為だったのだろう。それと霊魂を考えてみると、思い出すのは人魂だ。今でこそ人魂の目撃例は皆無となったが、以前はかなりの割合で人魂を目撃したという話が多い。その中で人魂の表現に「尾を引く…。」というものがある。光の残像現象なのだろうが、遠野で老人から聞いた、いくつかの人魂の話でも、尾を引いて飛んでいるというものがある。
また、現在70歳半ばの老人は、昭和時代に鱒沢駅から歩いて小友町へ帰る時、巨大な尾を引く光の玉を目撃したという。俗に云う「ホウキ星」、つまり彗星に近いイメージだ。その形状から、更に思い浮かべるのが勾玉の形だ。「霊」は「たま」とも呼ぶ事から、「霊」=「玉」であった。つまり「勾玉」は「勾霊」でもあったのだと思う。「勾」という漢字の意味は「誘う、かどわかす。」という意味がある。そうなれば「勾玉」とは「誘う霊」「かどわかす霊」という意味になる。そうなると、まるで生きている人を誘い、惑わす幽霊そのものの意になってしまう。
また、足が無いで思い出されるのは蛇である。蛇という存在は、人間を基準に「余分なものを排除した理想の姿」という定義づけがある。そして、「オロチ」や「ミズチ」などの蛇を表す言葉の最後の「チ」は「霊魂」を表す語でもある事から、幽霊から足を取ってしまった背景には「勾玉」から「蛇」に通じるものを感じて足を取ったのかもしれない。
エデンの園のイヴは、蛇にかどわかされて林檎を食べた。また沖縄の伝説では赤マタは、人をかどわかすものと伝えられている。つまり、蛇というものは、西洋東洋問わず、人をかどわかすものであり、その原義が勾玉を通じて、幽霊から足を取ったのでは?と考えてしまう…。
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