土淵村字栃内琴畑の者が、川魚釣りに行って小烏瀬川の奥の淵で釣り糸を垂れていると、時々蜘蛛の巣が顔にかかるので、そのつど顔から取って傍らの切株に掛けておいた。その日はいつもに無く、よく岩魚がついたが、もう日暮れ時になったので、惜しいけれども帰ろうと思っている折柄、突然傍らにあったこの根株が根こそげ、ばいらと淵の中に落ち込んだので、驚愕した。家に帰ってからハキゴの中を見ると、今まで魚と思っていたのは皆柳の葉であったそうな。
「遠野物語拾遺183」
この話は、キツネが登場するか?と思わせて、まったく出てこない。しかし結果は、キツネに騙された話に似通った話だ。また別に「遠野物語拾遺184」でも場所は違うが似たような話が紹介されている。その話には蜘蛛の巣だけではなく、青い蜘蛛も登場している。また「遠野物語拾遺185」には、旗屋の縫が登場し青入道退治をするのだが、その正体は青蜘蛛であったという話になっている。ここで総合すれば、この釣りでの怪異を成している正体は、全て蜘蛛であったのか?という事になる。それも青蜘蛛という事になるのか…。
白山信仰を調べていると、しばしば白は青になるという記述に出逢う。白は青に、青は白に変化するのだ。白波も、元を辿れば青い海の変化だ。青白い顔という言葉から、昔から青と白は同じものという認識はあったようだ。つまりここでの青蜘蛛という存在は、白い蜘蛛でもあるのだろう。白い生き物は神の使いとされ、魔力を持つという。つまりここの釣りの話に登場する青蜘蛛、旗屋の縫が退治した魔力を持つ青蜘蛛も、本来は白蜘蛛の変化であり、神の力を携えた存在なのだろう。人里を離れた時点で、禁忌の場所になってしまう。ようは神域であり、人の力の及ばぬ魔所だ。つまり神域を侵した人間が、魔所の御礼を受ける話が、この一連の物語なのだろう。
ところで、岐阜県に伝わる話に、似たような話がある。蜘蛛淵に釣りに行くと淵から蜘蛛が出てきて釣り人の足に糸を掛けた。糸を外して切り株に掛けておいたら、蜘蛛が糸を引っ張って切り株は淵に引き込まれた。蜘蛛は淵の中で笑っていたという。
これは、宮城県の話だ。田束山のクモ滝に大きな蜘蛛がいた。ある人が山に行ったら、滝から蜘蛛が出てきて足に糸を巻いた。糸を脇の樹に引っ掛けておいたら、その樹は滝壷に引き込まれた。
また静岡県には、次のの話が伝わる。浄連の滝で昔、農夫が休んでいると女郎蜘蛛に糸をかけられた。糸を外してかけ移した切り株は滝壷に引き込まれた。後年、農夫の後継ぎが滝壷に斧を落とすと美女の姿をした女郎蜘蛛の精が返してくれたが、口外すると生命を失ったという。
これらの話から釣りをしている最中に蜘蛛の巣がかかったり蜘蛛の糸が顔につくのは、蜘蛛が人を取り込もうという意思であり、その蜘蛛の糸を傍らの切株にかけたのが水に落ちるのは、蜘蛛の糸の力であったのだろうと思われる。
つまり、人里離れた淵で釣りをするというのは、人里離れる自体が異界への侵入を表し、非日常世界が広がってしまう。普段、虫を捕らえる蜘蛛が異界では人間をも捕らえる存在に変わってしまうというもの。ギリシア神話では、蜘蛛の元はアラクネという女性ががヘラと織物対決をし勝利したのだが、負けたヘラが屈辱のあまりアラクネを罰し蜘蛛に変えてしまった話が伝わる。西洋での殆どは、元は人間であったという話が多い中、日本では純粋に生物が異界で変化し、妖しになる話が多い。だから大抵の場合、西洋では動物に対し、人間の名前のような愛称を付けるのは、元々人間であったものという根底があるのだが、日本の場合にはそれがない、純粋な物の怪となってしまう。
話を戻すが、他の地域の蜘蛛の話に似通ってはいるものの、遠野のオチは、キツネに化かされた話に近ので、単純に想像すれば、異界の蜘蛛の話とキツネに騙された話の合成だろう。そして静岡の話は、それこそいろいろな話が一つの話に要約され過ぎて、まとまりの無い話になってしまっている。
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