「妬婦の養ひがたきも、老ての後其功を知る」と。咨、これ
何人の語ぞや。害ひの甚しからぬも、商工を妨げ物を破りて、
垣の隣の口をふせぎがたく、害の大なるにおよびては、家を
失ひ国をほろぼして、天が下に笑を伝ふ。
いにしへより此の毒にあたる人、幾許といふ事をしらず。死
して蟒となり、或は霹靂を震うて怨を報ふ類は、其の肉を醢
にするとも飽くべからず。さるためしは希なり。夫のおのれ
をよく脩めて教へなば、此の患おのづから避くべきものを、
只かりそめなる徒ことに、女の慳しき性を募らしめて、其の
身の憂をもとむるにぞありける。
「禽を制するは気にあり。婦を制するは其夫の雄々しきにあ
り」といふは、現にさることぞかし。
この「吉備津の釜」の序文に、全てのストーリーが要約されている。庄太夫の最後が髪の毛の塊だけになるのも「其の肉を醢にするとも飽くべからず。」という言葉をストーリー上で示したものだ。
また「死して蟒となり…。」というのは、女と蛇の性質が近いのだという女性蔑視に近いのかも?他にも「女の慳しき性を募らしめて…。」というのは、女のねじけた性質という意味で、やはり女性蔑視?これを当時の女性は、どう読んだのだろうというのも気になるが…。ただ最後に「婦を制するは其夫の雄々しきにあり」と、男もこうでなくてはならぬと諭しているが…。この辺の秋成の言葉は、生い立ちを調べればわかるのかもしれない。
ところで磯良の名は、磯良大神という海神からきているようで、大変醜い者だったらしく「吉備津の釜」では大変美人に仕立てたのも秋成の悪戯心?ところで、庄太夫みたいなヤクザ?な男は、江戸時代に多く発生している。国定忠治などは、群馬などでは養蚕が盛んで女が一生懸命働いてる為の逆の現象だ。髪結いの亭主と同じに、女が働けば、女の紐になる男が増えてきた時代でもあったようだ。それだけ世の中が平和になった証しでもあるのだろう。
とにかく、戦国の世みたいに男が中心となり戦をしている最中は、男としての価値もあったが、江戸時代となって戦もなくなり、本来の武家とは違う身分の男達、もしくは武家から商人に身を転じた男達から平和な世が誕生し、その次の世代から庄太夫みたいな男達が増えてきた。
この「吉備津の釜」の話もある意味、庄太夫が磯良に抱いた感情は、男の存在価値が失われて、その存在価値を示す磯良に対する嫉妬心なのだろう。世の平和が男の存在価値を失わせ、女に対する嫉妬心を誕生させ、平和な世の中を実は乱し、このような怨念劇を生み出してしまった…。
吉備津の釜のストーリーで、一つ解せないのが、磯良を騙し遊女と逃げた先、播磨の国に逗留し、磯良の生霊の仕業でなのか遊女の死んだ後、墓地で出会った磯良に仕える女…。
登場人物がに少ない「吉備津の釜」において、ある意味謎の存在である。連れの彦六曰く、狐狸の類だろうという事だが、顔は違えど、死んで磯良に取り込まれた袖の姿だったのではないだろうか?
磯良という生霊の恨みにより、死んだ袖。その亡骸を葬った墓地に、磯良に仕える身として、磯良が袖の魂を使う事によって晴らす怨みの一つと思えば、物語上納得してしまうのだが…。
とにかく「吉備津の釜」は、怪談話の定番のような設定だ。その恨みを凝縮させた形が、最後のライトなのだろう。ラストシーンのおぞましさで、どれだけ怖い話か伝わるのだろう。この「吉備津の釜」でのラストは正太郎が髪の毛だけになってしまう…。
明けたる戸腋の壁に生々しさき血灌ぎ流れて地につたふ。されど
屍も骨も見えず。月明かりに見れば軒の端にものあり。ともし火を
捧げて照らし見るに、男の髪の毛のもとどりばかりかかりて、外に
は露ばかりのものもなし。浅ましくも恐ろしさは筆につくすべうもあ
らずなん。
古来中国では、髪は魂の抜け出る場所と思われていた。なので、魂が抜け出ないように、髪を束ねて、それを防いでいたようだ。それは日本にも伝わりやはり、髪を束ねている文化もあった。ところがザンバラ髪は、いつ魂が抜け出てもおかしくない状態。もしくは、幽鬼の類は、魂をほとばしらせて悪行を重ねるので、ザンバラの頭の人間もまた妖怪視されたようだ。
髪の毛はとにかく、魂の出入り口なのだが、その髪の毛だけになった正太郎というのは、とにかく魂を含め全ての物を、磯良に奪われてしまったものとして、衝撃的な結末なのだと思う。
それとその前に…陰陽師は筆をとり、正太郎の背より手足に及ぶまで、文字を書き記したが…ここで思い出すのは「耳無し芳一」の話だ。耳にだけお経を書いてもらわない為に、亡者に耳を持って行かれた芳一と、正太郎の酷似は多分、後に小泉八雲がこの「吉備津の釜」を読んで取り入れたのでは無いだろうか?