遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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三女神伝承と東峰三山?

三女神伝承と東峰三山?_f0075075_2084442.jpg

【花巻方面から見た、薬師岳・早池峰山】


遠野に伝わる三女神伝承に似通ったものを調べると、花巻地区に顕著にあり、三女神伝承は調べるとまだ出てきそうな気配がある。遠野の三女神伝承に、花巻地区の伝承を全て結び付けるわけにもいかない気がする。それは何故か?実は、早池峰山に祀られる瀬織津比咩という存在を抜きにして語られている伝承には違和感を覚えるからだ。わたしは初めに早池峰の姫神てある瀬織津比咩ありきと考えているからだ。違和感といえば、早池峰がかって東峰と呼ばれたというのにも違和感を覚える。

花巻市文化財保護審議会委員の小野義春氏の「東峰三山と鶏頭山」という面白い論考を読んだが、資料の殆どが奥州藤原氏以降の中世主体のものであり、早池峰山が以前”東峰”と呼ばれていたものに力を入れ、または鶏頭山について書き記されている。たた遠野での早池峰は北に鎮座する霊峰であり、前薬師の薬師岳(1645m)と本薬師であろう早池峰(1917m)は、薬師岳と一直線に重なるように並び、まるで薬師如来の座像と立像のワンセットとして、あくまで全てひっくるめて”早池峰”であるという概念だろう。小野氏の「東峰三山と鶏頭山」では南部叢書から「丑の方には稗貫郡内川目村の早池峰山・薬師かてんしやう・池上山、これを三の山とはいふ也…。」という菅江真澄の言葉を引用しているが、あくまであれは北上・花巻地域からみた東側に鎮座する早池峰であり上の画像の様に、三つ分離して連なり確かに三山を形成しており、言われれば確かに”東峰三山”であろう。また菅江真澄も地元の民から教わったものからの言葉であろうから、三山という認識は地元の民に植えつけられたものであろう。

東峰なる言葉は、北上・花巻・大迫における狭い範囲の名称なのにかもしない。その後の遠野は南部藩が統治していた為に、東峰という言葉も南部藩の影響からのものではないのだろうか?「宮本文書」と云われる「早池峰妙泉寺文書」にも東峰とされていが、文書そのものも南部藩の影響下にあったようなので、今では疑問に思うところである。

また小野氏の「東峰三山と鶏頭山」において感じるスタンスは、歴史の過去において大迫の早池峰神社と遠野の早池峰神社の争いの歴史がありながら、やはりというか地元である花巻市大迫からの視点の論考である為、花巻びいきの書き込みは少々気になるところである。例えば「遠野物語」という物語世界に歴史を埋没させるな!というスタンス取りながら、肝心な箇所では「遠野物語」を引用し、更には他の胡散臭い伝説を引用して考察を正当化しているという、少々お粗末な内容だった。歴史的にも中世史は複雑怪奇な世界なので、簡単に見つかったパーツを繋ぎ合せるのは危険であろう。また遠野側においても大川善男氏により、伝説の東禅寺は臨済宗では無く天台宗であり、東禅寺と云われた寺は妙泉の里寺てあったという納得いく論考を提示されたのだが、小野氏はそれを読んではいないようだ。また大川氏によって、南部氏による捏造された南部藩の歴史も指摘されているので、南部藩の息のかかった文書による考察は危険であろう。奥州、もしくは早池峰を調べるなら、県外の資料も集め無い事には核心にせまれないものと思う。例えば幕末の時代、薩摩藩の日誌から常に戦に駆り出された被差別部落者の心情を語る言葉に早池峰の”瀬織津比咩様”というものがあり、過去の歴史の中に俘囚として九州などに流された民の文化が残っている。また九州の古文書からは、平安の中期には早池峰にはリンドウが咲き乱れていたという記述からも、今後の早池峰であり”東峰”を探るなら、岩手県内の文書や伝説を頼りにしていては、進展無いものと考える。

ところで自分の中での三女神伝承の元は、やはり歴史的資料からいけば、室根山と室根神社に伝わる伝承だろう。ここでは三女神ではなく、二人の女神となる。この二人の女神の伝承が伝わるのは他にはとにかく唯一、江刺大迫の伝承だけである。
三女神伝承と東峰三山?_f0075075_198711.jpg

【江刺大迫の亀ヶ森】

【江刺、大迫の女神伝承】

大迫の亀ヶ森という丘陵に、二人の女神が宿を取った。妹は、早池峰の女神
ににりたいと願ったが、姉はただ天の意志にまかせるのだとし、妹を諌めた。
ところが妹は、蓮の蕾を取って早く花を咲かせる事が出来たものが、早池峰
の女神となる事を提案したのだと。

気立てが優しい、ねのんびりした姉は一日中、花の咲くのを岸から待ち続け
た。機転のきく妹は、蓮の花が朝方にしか咲かないのを知っているので、日
中は遊んで、早朝に起きて蓮を見ていたそうな。その三日後、姉がまだ寝て
いる間に、蓮の花が咲いた。妹は素早く蓮の花を取って早池峰へと飛んだと
いう事だ。姉は泣く泣く、麓山の姫神になったそうである。

三女神伝承と東峰三山?_f0075075_19958100.jpg

【江刺菊池一族総本家の跡地】

この大迫とは、稗貫郡(現在は花巻市)の大迫では無く、江刺に属する大迫である。大迫という地名は”山間の地”という意味らしい。

実は、この江刺の大迫の姫神伝承はかなり古いらしく。この江刺の大迫に流れ着いて定着した菊池という人物が伝えた伝説であるらしい。この大迫の部落では七月の早池峰の御山開きには、早池峰講を組織して、この伝承を運んだ菊池一族の総本家の当主を先頭に、早池峰登拝へ行っていたのだという。

この江刺大迫の菊池一族は、稗貫郡大迫の岳部落を訪れて、早池峰の新山宮に一番近い宿坊に泊ったという。岳部落では、江刺大迫の菊池一族には昔から、一番近い宿坊を与えるのが取り決めであったらしい。また早池峰の祭の日には菊池一族の当主が内陣まで土足で入る事が出来、祈祷を特別に受ける慣例を持っていたという。この菊池一族は、伝え聞くところによると九州から渡って来た一族で、この早池峰と姫神を、こよなく愛していたという。

実は、この江刺大迫に伝わる伝承として、この姫神伝説が現在の稗貫郡大迫町に伝わり、それから”大迫”という地名が付いたという事である。また姫神が宿にしたという亀ヶ森もまた、そのまま現在の大迫に伝えられ地名として存在している。大迫町役場に問い合わせても、いつから大迫という地名になったかは、誰も知らないという事であった。唯一「地名辞典」から、早池峰山の山間の地形から”大迫”であろうという判断しか出来ないそうである。

ところがこの江刺大迫の菊池の総本家も没落し、かなり以前にどこかえと消え去ったという。上の画像は、その菊池家の後地で、昔から伝わる椿が何故か一本だけ咲いているとの事。この菊池家の周囲には池跡がいくつかあり、この池に咲く蓮の花を姫神が見守ったという事なそうだ。

この伝承が現大迫に伝わり地名となったという説は、別に大迫に住んでいた人間が隠居後に江刺の大迫へ引き籠り、その伝承を伝えたとも云われるようだ。

先ほど述べたように、岩手県における原初的な女神伝説は室根村の二人の女神から始まったと考えられる。花巻市に伝わる女神伝説は三女神だ。それを隠居した人間が江刺の大迫の地において、二人の女神に戻す必要があるのだろうか?例えそうだとしても、間違った、もしくは歪曲させられた伝承が作為的に大迫に広まった為に本来の二人の女神伝説に戻したとも考えられる。それともう一つ、隠居した人間がわざわざ立地的に作物の期待できない、飢饉の多い土地に移り住むのであろうか?多分伝承の伝播経路では、江刺大迫の方が先であったろうと考える。

ところで先に記した室根神社の「むろね」とは、紀州熊野の牟婁からきている。その由来記には熊野から蝦夷討伐の為”十一面観音の隠れ本尊”を背負ってきたとされている。ここでの隠れ本尊とは本地垂迹の意味でもあり、要は仏教では十一面観音であるが神としては誰か?という事であり、その名を開かせぬ神を十一面観音の隠れ本尊として表現しているのだとされている。

また直接その十一面観音の隠れ本尊を直接室根山に運んだのではなく、ところどころにその分霊を祀り、室根山に到着している。その足取りを辿ると現れる神の名は瀬織津比咩であって、現在の早池峰の姫神となる。「奥州室根山」という由来書には「室根山は熊野権現を勧請し、御本尊の秘仏は、御沢の滝の岩窟に秘蔵せりと云う。」これは滝神である為、本来鎮座する場所に安置したという意味と捉えていいのだろう。後に室根山では熊野三所権現という形式の祀り方となる事から、三女神伝承に変化したものだと考える。それ故に、原初的な二人の女神伝承を伝える江刺大迫の伝説は貴重であると思う。

また「新・遠野物語」に記載されていものに、早池峰と大迫と南部の関係を紹介した面白いものがある。
三女神伝承と東峰三山?_f0075075_19505625.jpg

遠野南部では、宗詣の関係から甲州以来、代々火葬をもって葬られてきた
という歴史があった。それで家臣達の主だった者達も、それに準じて火葬
を行ってきたのだと。ところが遠野に移ってきて、困った事になったとい
う歴史がある…。

遠野領民の一番の信仰の対象が早池峰山であり、早池峰山の山霊が屍骸
を焼く煙が嫌いなのだという迷信が蔓延っていたのだという。その領地を
統治するという事は、その領地に根付いている信仰も容認しなければなら
ない為に南部の連中は困り果ててしまったのだという。

その迷信とは、早池峰山が開いている3月の中旬から、山閉じの9月の中
旬までの間、火葬厳禁となっていたそうな。なので火葬が家例となってい
た南部家の困りようがみえるようである。

寛文元年の7月、弥六郎直義の夫人、松晃院が亡くなり、さて火葬という
時の遠野では、例え誰であろうと火葬はご法度となっていた。そこで領主
となった南部は、どうしても火葬を土葬に変えるわけにいかないと相談の
結果、僧侶や山伏達を沢山集めて、早池峰山に許しの祈願をし、その上で
現在の新穀町にあった感応院で火葬する事にしたのだという。

その火葬の当日、僧侶、神官、山伏が集まって色々早池峰様のなだめの祈
願をあげた末に、葬儀となったそうな。読経も済み、和尚の引導も終わり、
いよいよ火屋に火を放とうとした瞬間、今まで一点の曇り無く晴れ渡って
いる空に突然、黒雲が湧き出したのだという。それが葬儀の場をみるみる
真っ黒に覆ってしまったのだと。

そしてそれと共に、転地も砕けるかという雷鳴が鳴り響き、目も眩むかと
いう稲妻が走り、あたかも天地がひっくり返るかのような情景になってし
まったという。

その黒雲の中に、何か怪しいものが居て、屍骸を納めた棺に襲い掛かろう
という気配を見せたので、警護の武士達は叫んだという。

「さてこそ早池峰様のお怒りか。これこそ話に聞く魑魅魍魎をお遣わしに
なって、御屍骸を奪わんとせられるのか。それにしても御屍骸を奪われて
は一大事。」

警護の武士達は、皆々太刀、長刀、槍の鞘を払って自刃を空にかざして、
弓や鉄砲などは穂先や銃口を揃えて頭雲をめがけて攻撃が火蓋を切ったの
だと。

臨席していた大勢の僧侶や山伏達は悪霊退散の祈願を唱えていたそうだが、
ほどなくして、その葬儀の場を覆っていた黒雲は消え去り、空は元通りの
晴れ間が広がったのだそうな。

この時以降、南部の時代となっての火葬は、遠野ではなく大迫まで屍骸を
持って行き、火葬をあげてから再び遠野に持ち帰り大慈寺で葬儀を行うよ
うになったのだという…。

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上記の伝承は、遠野に伝わるものである。これはつまり、早池峰の姫神は不浄のものを忌み嫌うという伝承が伝わってのものだ。ただしこの内容は史実では無いという結論に落ち着いているのだが、例え作り話として考えだされたものだとして、一つの証明を成している伝承だと考える。つまり、遠野側では早池峰の姫神の霊威を信じ信仰しているのに対し、南部と同じ早池峰を祀る大迫という地域では、その早池峰の霊威が通用しないという事を伝えているものた。

岩手県の歴史は、奥州藤原氏の歴史が燦然と輝き、その奥州藤原氏の文化と信仰の視点を中心に考えるきらいがある。東とは太陽を現し、太陽の昇る地という意味がある。つまり東峰という呼び名は、あくまでも早池峰山が東に見える地域から呼び名では無かろうか。遠野も奥州藤原氏の影響を受け、例えば経塚などの信仰文化も、東北にもたらしたのは藤原氏とされる。その経塚として古いものが遠野から発見されているのは、奥州藤原氏の信仰形態が影響され根付いていたという証になるのだろう。しかしだ、早池峰山が開山されたのは奥州藤原氏の時代よりも更に数百年も遡らねばならなない。

もう一つ、遠野側が不利なのは盛岡南部の影響もあったのだろう。あくまでも南部藩の中心は盛岡であった。早池峰の祭祀に関しても、遠野側が発祥であろうが、盛岡から近い大迫を南部氏が優遇した歴史は消せない。当然の事ながら南部氏をバックにした大迫は、遠野の早池峰神社からの祭祀を全て自分達のものにしようと画策した。それに付随するように、女神の伝説も生まれたのでは無いだろうか?そうでなければ、花巻地域から大迫にかけて、三つも四つも伝承があるというのは、いささか多過ぎる。うがった見方をすれば、遠野の三女神伝説をぼかす形で作られたのが花巻の女神伝説の可能性も考えて良いのかもしれない。ただ花巻の場合、三女神伝説の中心となっているのは胡四王だ。歴史の深い、もしくは謎の深い胡四王神社の鎮座する胡四王の権威付けを意識し、早池峰を取り込む形で作られた三女神伝説の可能性も否定できないだろう。

ただし、これだけはキチンと覚えて欲しい。現在の大迫に鎮座する早池峰神社とは、遠野の早池峰神社の遥拝所であった。それは岳の早池峰神社が、遠野の早池峰神社に向けられて建てられている事から納得できるものだ。早池峰への道の原初は、遠野の早池峰神社から、又一の滝、そして薬師岳と早池峰へ伸びる一直線の道が正当であったという事だろう。
by dostoev | 2010-04-18 20:27 | 三女神伝説考
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