
鈴ヶ神社は、川井村は鈴久名地方にある神社である。小高い山の頂にあり、入り口から登る事10分弱。まるで、山城の如き神社である。この地は遠野ではないのだが、昔から「遠野物語」にも川井村の怪異の話もあるので、これも遠野郷として川井も含めて紹介しようと思う。

「鈴ヶ神社由来」静御前は金売り吉次に連れられて、義経一行とは別に、秋田を周って、当地に来られた。わざわざ遠回りしたのは、安全のためである。鈴久名地区の人たちは、大聖山(だいしょうやま)の閉伊川沿いに切立つ高台に館を建てて、御前をかくまってさしあげた。隣の箱石地区の山名家には、義経一行が身をよせており、御前は時折最愛の人と僅かな時を過ごすことが出来た。その義経が北海道へ旅立つ際、置いていった鞍馬寺の毘沙門天は、現在も大切に山名家で祀られている。判官神社が箱石にあるが、山名家とはこの神社の別当である。
鎌倉の都で初めて義経と出会ってから、幾多の苦難をのりこえ、つかの間の安らぎを鈴久名で味わう。しかしそれもつかの間、御前は妊娠するも、難産のすえ命を落としてしまわれた。鈴久名の人々はその亡骸を密かに火葬し手厚く葬ってさし上げた。しかし、地区の者たちはその後も御前を慕い、賢き人と敬いやまず、鈴ヶ神社の
神として、静御前と永遠に固い絆で結ばれることとなったのです。
「鈴ヶ神社の名前の由来」静御前が身を隠すために、鈴久名の地名を元に自分の名前も「スズカ」と称したという説と、静御前の名前から「鈴久名」の地名がついたとされる説。その説に加えて説明しなくてはならないのが、訛りでろう。地元の年寄りは「さしすせそ」の発音が出来ない。「しずか」は「すずか」に変わる。この訛りも地名の由来に関係しているという。
「ご神体について」静御前のご神体については、特殊であるので宮古市にある賢伊仏具店より紹介され、有名な仙台の彫刻家の方に作ってもらった。高さ20センチくらいで杖と傘をもち、ワラジを履いた、旅姿の静御前である。



入り口には鳥居があり、そこから坂をわずかばかり登ると、静御前の供養塔がある。


かなりの急勾配の坂を登って、どうにか本殿まで辿り着く。

本殿の外から内部の祭壇を撮影したら…不思議なものが写りこんでいた。あとで鈴ヶ神社のHPを運営する人に聞いたら、なんでも箪笥に仕舞っている白拍子の服なそうな。なんで写ったのかは、定かではない(^^;;;;